WCWマンデー・ナイトロの開始
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「マンデー・ナイト・ウォーズ」の記事における「WCWマンデー・ナイトロの開始」の解説
『WCWマンデー・ナイトロ』は1995年9月4日に1時間番組としてスタートした。1995年半ばの会合でターナーは、どうすればWCWはマクマホンのWWFに対抗できるかをビショフに尋ねた。ビショフは特に期待せずに、平日夜のゴールデンタイムでWWFの看板番組のマンデー・ナイト・ロウにぶつけるのが唯一のやりかただと言った。驚いたことに、ターナーはTNTの毎週月曜夜の2時間の枠をビショフに与えた。これはロウとぴったり一致する時間帯であった。この時間枠は1996年5月に2時間枠となり、さらにのちに3時間に拡大した。ビショフ自身は当初司会を務めた。 ナイトロの第1回放送では、レックス・ルガーのWCW電撃復帰が盛り込まれた。ルガーは1987年から1992年までWCWに在籍し、翌年WWFへと移った。ルガーを手に入れたWCWの作戦はいくつかの理由において重要であった。まずナイトロは当時生放送であったため、このサプライズで大興奮した観衆が映し出された。ルガーは、WWF世界王座を狙う位置にいたトップスターであった。そして前日までWWFのハウスショーに出演していて、ビショフとルガーの親友のスティング以外は誰も移籍を知らなかった。 マクマホンは、ターナーが月曜夜にナイトロの生放送を行なうという決定については苦い思いであったことをのちに認めた。彼は当時、ただWWFを潰すためだけにターナーがそうしたのかもしれないと考えていた、と語った。
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