WCWからWWFへ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 16:01 UTC 版)
「ブッカー・T (プロレスラー)」の記事における「WCWからWWFへ」の解説
WCW崩壊時、WWFに契約をテイクオーバーされたため『マンデー・ナイトロ』最終回で4度目のWCW世界ヘビー級王座を獲得。WCW王者としてのWWF登場当初はダイヤモンド・ダラス・ペイジらと共に試合への乱入を繰り返すも、顔見世的に行われたバフ・バグウェルとの王座戦が、バグウェルが原因で稀に見る凡戦となったこと、その他諸般の事情(WCWのTVマッチを放映する局やスポンサーが見つからなかった等)からWWF首脳陣はWCWをWWF傘下のブランドとして位置付けるのを諦め、新たにWCW/ECW連合軍のアライアンスを創り上げ、そのWCW側のエースとしてWWFに本格参戦。WWF側エースのザ・ロックと抗争を展開した。 連合軍崩壊後も、ヒールとして引き続きWWEに参戦。アライアンス側の人間はストーリー上全員解雇されたことになっていたため、WWFへ共同経営者というアングルで登場したリック・フレアーとストーン・コールド・スティーブ・オースチンに対抗すべく、ビンス・マクマホンがブッカー・Tを呼び戻すというストーリーで復帰する。オースチンとの抗争では、スーパーマーケットの中でストリートファイトを展開したこともある(試合は最後にブッカー・Tがレジに通されて終了)。WCW時代とは一変してコミカルなキャラクターを演じ、スマックダウンの試合ではリキシのスティンク・フェイスで嘔吐したこともあった。 WWFのテレビ番組分割後はRAWに参戦した。2002年にはnWoにメンバーとして参加するも、ショーン・マイケルズ加入に際してnWoを離脱。同時にベビーフェイスに転向、2003年の『レッスルマニア19』ではトリプルHの世界ヘビー級王座に挑戦した。 2004年3月にRAWからスマックダウンへ移籍。再度のヒールターンを行うも、その後ジョン・ブラッドショー・レイフィールドおよびオーランド・ジョーダンとの抗争でベビーフェイスに戻る。ブッカーがレイフィールドを裏切った瞬間、場内は瞬く間に歓声へと変わった。 私生活では2005年3月、元WCWのナイトロ・ガールスのシャーメルと結婚。なお、シャーメルもディーヴァとしてWWEに出演している。 WWEではベビーフェイスとヒールを頻繁に行き来し、シャーメルのWWE登場時にカート・アングルと抗争していたときはベビーフェース、クリス・ベノワからUS王座を獲得して以降はヒールとして活動。そのUS王座を賭けたクリス・ベノワとの七番勝負の最中に負傷し、ランディ・オートンに代理参戦を依頼。結果、戦わずしてUS王座を手に入れた。2006年の『ノー・ウェイ・アウト』でベノワにUS王座を奪還された後はブギーマンと抗争。5月の『ジャッジメント・デイ』でのキング・オブ・ザ・リング決勝戦においてはボビー・ラシュリーを破って優勝。その後、「国王」を自称しリングネームをキング・ブッカー(King Booker)と改めた。
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