WCW世界ヘビー級王座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/10/22 13:05 UTC 版)
WCW世界ヘビー級王座(WCW World Heavyweight Championship)は、かつてのプロレス団体WCWの王座の一つ。一時期はWWF(現:WWE)の王座の一つでもあった。2001年12月9日にWWE王座に統一されるものの、2002年に世界ヘビー級王座として復活。
- ^ こうした事情からWCWは、関係者がNWA世界ヘビー級王座のベルトを東京から本国アメリカに持ち帰ってしまい、後日の本国向けのテレビ中継にて藤波の王座奪取の映像を流しながらも『オーバー・ザ・トップロープがあったため、王座移動は認められない』との公式見解を示した(無論、新日本プロレス側は承服せず、ベルトが手元にない状態ながら、選手コールの度に藤波を「NWA世界ヘビー級チャンピオン」と紹介し続けた)。5月19日、アメリカ・フロリダ州セントピーターズバーグでWCWが開催した「スーパー・ブロウル」において、『WCWチャンピオンはどちらか』と銘打ち、NWA世界ヘビー級王者のフレアーとIWGPヘビー級王者の藤波との再戦を挙行、こちらはフレアーが雪辱を果たした。
- ^ 一方で当時、アメリカのスポーツ新聞「ナショナル」(現在は廃刊)は、この東京ドームのタイトル戦について「藤波がNWA王座を奪取」と報道、同紙は「藤波の戴冠でNWA王座は、よりインターナショナルなものになった」とも伝えたという(当時の東京スポーツより)。
- 1 WCW世界ヘビー級王座とは
- 2 WCW世界ヘビー級王座の概要
- 3 歴史
- 4 外部リンク
WCW世界ヘビー級王座
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/19 09:10 UTC 版)
「統一世界ヘビー級王座」の記事における「WCW世界ヘビー級王座」の解説
詳細は「WCW世界ヘビー級王座」を参照 起源は1991年1月11日に行われた試合にさかのぼる。そこではリック・フレアーがNWA世界ヘビー級王者としてスティングを破るが、1991年の初めにWCWがNWAを封印したとき、フレアは最初のWCW世界ヘビー級王者として認定される。WCW国際世界ヘビー級王座は鞍替えしたフレアのNWA世界ヘビー級王座で、WCW国際世界ヘビー級王座として認定され続けた1993年のWCWのNWAとの最終分割の事件にまでさかのぼることができる。2つのタイトルは1994年6月に統一される。このタイトルは2001年にWWFがWCWを買収した後、WWFで一時的に擁護された後、 WWF世界ヘビー級王座に統合されて封印された。クリス・ジェリコがWWFの復讐2001でWCW世界ヘビー級王座とWWF王座と統合。
※この「WCW世界ヘビー級王座」の解説は、「統一世界ヘビー級王座」の解説の一部です。
「WCW世界ヘビー級王座」を含む「統一世界ヘビー級王座」の記事については、「統一世界ヘビー級王座」の概要を参照ください。
- WCW世界ヘビー級王座のページへのリンク