WCW在籍時(第1期)
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「レックス・ルガー」の記事における「WCW在籍時(第1期)」の解説
1987年7月、ニキタ・コロフを破り、USヘビー級王座を獲得。その後、同王座を4度獲得した。 1988年3月、バリー・ウインダムと組み、アーン・アンダーソン、タリー・ブランチャード組を破り、NWA世界タッグチーム王座を奪取した。 同年4月、第3回ジム・クロケット・シニア・メモリアル・カップにスティングと組んで出場し、優勝を果たした。 1988年から1989年に掛けて、リック・フレアーの持つNWA世界ヘビー級王座に幾度も挑戦したがタイトル奪取には至らず、ライバルであり、プライベートでは親友でもあるスティングに先を越される形となってしまった。 1991年7月、リック・フレアーがNWA世界ヘビー級チャンピオンのままWWEに移籍したことと、訴訟によりWCWが"NWA"の名称を使えなくなったことから、同団体の看板タイトルとしてWCWヘビー級王座が新設された。レックス・ルガーとバリー・ウインダムとの間で王者決定戦が行われ、ルガーが勝利して初代WCWヘビー級王者となった。王者時代は、ハーリー・レイスをマネージャーに就けていた。 1992年2月、スティングに敗れて王座から転落した後、WCWを退団した。
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WCW在籍時(第2期)
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「レックス・ルガー」の記事における「WCW在籍時(第2期)」の解説
1995年9月4日、WCWはマンデー・ナイトロの放送を開始した。WCWは、第1回放送から視聴者にインパクトを与えることを狙い、前日までWWFに出場していたレックス・ルガーを裏番組の「ナイトロ」に出演させるという演出を行った。 しかし、WCWがルガーを獲得したのはスティングの意向によるものであり、フロントサイドはルガーを厚遇したわけではなかった。WCWはWWFから次々とスター選手を引き抜き、視聴率や興行成績でWWFを圧倒するようになったものの、ルガーの存在感は次第に薄れていった。 1999年頃より、WCWは莫大な赤字を計上するようになっていた。また、WCWの親会社であったテッド・ターナー率いるターナー・ブロードキャスティング・システム(TBS)は、1996年タイム・ワーナーに買収された。これらの事情により、不採算部門であるWCWの売却が検討されることとなった。 2001年、WCWはWWFに買収された。WWFが欲していたのは、過去の映像資産であり、かつてのスター選手ではなかった。若手を中心に数十名のレスラーの契約が引き継がれたが、そこにルガーの名前はなかった。
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