WCW、ECW以降
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「テリー・ファンク」の記事における「WCW、ECW以降」の解説
1989年5月7日、リック・フレアーとリッキー・スティムボートのNWA王座戦に採点ジャッジとして参加。試合後、勝者フレアーに襲い掛かり、史上初とも言われる「テーブル上でのパイルドライバー」を敢行。フレアーとの因縁ドラマでは「イカレた中年(Middle Aged and Crazy)」のヒールとして活躍。 以降インディ団体を転戦するようになり、旧敵ザ・シークの甥であるサブゥーとの邂逅などもあり、かつて南部地区でダスティ・ローデスやジェリー・ローラーらと繰り広げてきた荒っぽいラフファイト路線に回帰。ハードコア・レスリングの先駆者として再評価された。 1993年からは創成期のECWに参加。1997年末までのECW全盛期を主役の一人として支えた。1998年からはECWと提携関係にあったWWFにチェーンソー・チャーリー(Chainsaw Charlie)のリングネームで久々に登場。弟子のような存在であるフォーリーとのタッグで活躍し、レッスルマニアXIVではニュー・エイジ・アウトローズのWWF世界タッグ王座に挑戦。その後はジャスティン・ブラッドショーとのカウボーイ・タッグも結成した。2000年からは末期のWCWに参戦し、ハードコア・タイトルを獲得している。 近年も各地のインディ団体に出場し、一時期は初期TNAにも登場した。2005年にWWEがECWを復活させると、当初は反WWEの立場を取っていたが、翌年のECWワン・ナイト・スタンド2006には参戦した。 2009年、兄ドリーと共にWWE殿堂に迎えられている。2011年には、流血の大抗争を展開した因縁のライバル、アブドーラ・ザ・ブッチャーのWWE殿堂入りのインダクターを務めた。 2021年11月23日、テリーが認知症の治療を続けていると、複数のアメリカ国内の専門メディアが報じた。同年夏よりテキサス州アマリロの生活支援施設に滞在した後、この報道の時点では介護付きホームに入所して生活していると報告された。
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