1965年から現在まで:完全な独立国家としてのシンガポール
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「シンガポール法」の記事における「1965年から現在まで:完全な独立国家としてのシンガポール」の解説
マレーシアとの統合は継続しなかった。2年も経たないういに、1965年8月9日、シンガポールは連邦から追放され、完全に独立した共和国となった。これは、1965年8月7日のシンガポール独立協定へのシンガポールおよびマレーシアの署名によるものであり、この協定の帰結としての変更を実施したのは、マレーシアの2つの制定法(1965年マレーシア憲法(シンガポール改正)法(Constitution and Malaysia (Singapore Amendment) Act 1965)および1966年憲法(改正)法 (Constitution (Amendment) Act 1966))とシンガポールの2つの制定法(1965年憲法(改正)法(Constitution (Amendment) Act 1965)と1965年シンガポール共和国独立法(Republic of Singapore Independence Act 1965))であった。1965年シンガポール共和国独立法第5条は、マレーシア国王(Yang di-Pertuan Agong)の立法権はシンガポールについては失われ、その代わりに国家元首(すなわちシンガポールの大統領)とシンガポールの立法府が有するものとした。再び、全ての法は引き続き効力を有するが、マレーシアからの分離によるシンガポールの独立した地位との調和を図るために必要となり得る変更、適合、留保および例外に服するものとされた。今日では、シンガポール国会(Parliament of Singapore)は、シンガポールにおいて立法を行う全権を有する国家機関である。 独立時点においては、シンガポール国会は司法制度には変更を加えなかった。そのため、その後の変則的な4年間においては、シンガポール高等法院は依然としてマレーシアの裁判所制度の一部であった。この点が修正されたのは1969年で、憲法が改正されて、シンガポールに関してマレーシア連邦裁判所に置き換わるものとしてシンガポール最高裁判所(Supreme Court of Singapore)が設立された時であった。なお、この後もロンドンの枢密院司法委員会(en:Judicial Committee of the Privy Council)は引き続きシンガポールの最上級裁判所である。最高裁判所は2つの部から構成される。上級部は控訴院(Court of Appeal)と刑事控訴院(Court of Criminal Appeal)から構成されており、それぞれが民事事件と刑事事件を取り扱う。下級部はシンガポール高等法院(High Court of Singapore)である。 1970年には下級裁判所が再編された。それ以来、シンガポール下級裁判所(Subordinate Courts of Singapore)は、地方裁判所(District Court)、治安判事裁判所(Magistrates' Court)、少年裁判所(Juvenile Court)および検死官裁判所(Coroners' Court)によって構成されている。 枢密院への上訴を制限する手段が最初に執られたのは1989年であった。この年、法改正により、枢密院への上訴は、民事事件については、控訴院による取調べの前に全当事者がかかる上訴に合意している場合に限定された。刑事事件については、枢密院への上訴は、死刑に関わる場合であって、かつ、刑事控訴院の裁判官が判決内容につき全員一致でない場合に限られた。これらの変更がなされたのは、枢密院が、シンガポールの著名な野党議員であるジョシュア・ベンジャミン・ジェヤレットナム(Joshua Benjamin Jeyaretnam)の同国における弁護士(advocates and solicitors of the Supreme Court of Singapore)資格を回復した直後であった。彼は、法定申告書(statutory declaration)において虚偽の申告をしたとして有罪判決を受けたために資格を取り消されていたのである。枢密院は、この有罪判決を「嘆かわしい不正」(a grievous injustice)と評した。1993年には、従前の控訴院と刑事控訴院の分離した構造は排除され、代わって統合された控訴院が民事および刑事の上訴を取り扱うこととなった。控訴院のために選任された控訴判事は、もあはや高等法院の業務を行う必要はなくなった。首席判事(Chief Justice)は控訴院の長とされた。恒久的な控訴院の設立により、1994年4月8日からの枢密院への上訴の全廃への道が固められた。その後、控訴院は、1994年7月11日付け実務声明(Practice Statement)を発し、控訴院は同裁判所自身のかつての判断および枢密院のそれを通常は拘束力あるものと取り扱うが、かかる判断に従うことが「特定の事件において不正を生じることとなり、またはシンガポールの状況に調和した法の発展を抑制することとなる」とみられる場合には、同裁判所は自身がかかる判断から離れることは自由であると考えることとなる旨を述べた。さらに加えて、この権能は、契約上、財産上およびその他の法的権利を遡及的に妨げる危険を念頭に置きつつ、控えめに行使されることとなる旨を述べた。今日ではシンガポール控訴院は同国における最上級裁判所である。 シンガポールの法体系の独立した地位は、1993年イングランド法適用法(Application of English Law Act 1993)により1993年11月12日に民事法法(Civil Law Act)第5条(前述)が削除されたことによって強調された。1993年イングランド法適用法の狙いは、イングランド法のシンガポールにおける適用の範囲を明らかにすることであった。同法は、イングランドのコモン・ロー(衡平法の原則および準則を含む。)は、同法の施行直前のシンガポール法の一部である限りにおいて、また、シンガポールおよびその居住民の状況に適用がある限りにおいて、引き続きシンガポール法の一部であるが、これらの状況が求め得る変更に服することとなる旨を規定する。イングランドの制定法については、同法別紙に列記されているもののみが、シンガポールにおいて適用され、または引き続き適用される。それ以外のイングランドの立法は、シンガポール法の一部とはならない。
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