1956年死刑確定囚とは? わかりやすく解説

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1956年死刑確定囚(22人)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 01:57 UTC 版)

日本における死刑囚の一覧 (-1969)」の記事における「1956年死刑確定囚(22人)」の解説

名(死刑囚名)判決確定事件発生備考執行日など)門司幼児3人殺事件 (K) 1956年1月6日 1952年4月21日1952年5月13日1952年5月19日 1901年明治34年4月21日生まれ1952年4月21日 - 5月19日にかけ、福岡県門司市(現:北九州市門司区)内で幼児3人(5歳男児2人8歳小学校2年生女児)を相次いで殺害し死体を肥つぼに遺棄した。同事件で殺人罪死体遺棄罪問われ刑事裁判弁護人責任能力問題心神喪失もしくは心神耗弱)を主張したが、第一審福岡地方裁判所小倉支部で、1955年1月19日求刑通り死刑判決言い渡された。その後同年7月4日福岡高裁控訴棄却判決を受ける。K本人上告審で、3件とも無実主張したが、同年12月26日には最高裁第三小法廷島保裁判長)で上告棄却判決を受け、1956年1月6日付で死刑確定確定後、死刑執行まで14回にわたり、約2か月おきに再審請求繰り返していたが、死刑確定から2年3か月後の1958年4月12日福岡刑務所死刑執行56歳没)。これを受け、福岡高等裁判所第4刑事部柳田躬則裁判長)は同月22日付で「請求人が死刑執行されたため、(再審の)請求権消滅した」として、再審請求棄却する決定出した福島県田人村母子強盗殺人事件 (K) 一審無期懲役旭川通運宿直強盗殺人事件 (H) 旭川通運宿直強盗殺人事件 (K) 福岡事件 (N) 1956年4月17日 1947年5月20日 1975年6月17日死刑執行60歳没)。 福岡事件 (I) 1956年4月17日 1947年5月20日 1975年6月17日個別恩赦無期懲役減刑1989年仮出獄2008年11月7日死去91歳没)。 宗像坑木強盗殺人事件 (O) 京都母親強盗殺人事件 (K) 宮城県利府村一家6人殺事件 (S) 熊本市長安寺町女性強盗殺人事件 (T) 延岡タクシー運転手強盗殺人事件 (T) 控訴取下げ半田伯父連続強盗殺人事件 (I) 福岡県八木山峠中学女性事務員強盗殺人事件 (T) 福岡県八木山峠中学女性事務員強盗殺人事件 (Y) 相模原質店強盗殺人事件 (S) 文京区小2女児殺害事件 (S) 茨城恩人強盗殺人事件 (M) 藤井寺旅館母子殺傷事件 (M) 銀座弁護士妻子殺人事件 (B) 控訴せず確定名古屋守衛夫人強盗殺人放火事件 (K) 一審無期懲役帯広一家3人強盗殺傷事件 (S) 大阪市松屋町主人一家4人殺事件 (M) 未成年少年死刑囚)。

※この「1956年死刑確定囚(22人)」の解説は、「日本における死刑囚の一覧 (-1969)」の解説の一部です。
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