1943年-1944年3月 トラック方面護衛
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「隠岐 (海防艦)」の記事における「1943年-1944年3月 トラック方面護衛」の解説
1943年(昭和18年)4月20日、トラック行き船団を護衛し、横須賀を出発した。30日、トラック泊地に到着する。以後、1944年3月までトラック-横須賀間の護衛に従事。 8月27日、4827船団(海軍徴傭船田子ノ浦丸、同日威丸)を護衛しトラック発。9月3日夜、三宅島南東60km .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯33度43分 東経140度00分 / 北緯33.717度 東経140.000度 / 33.717; 140.000の地点で、田子ノ浦丸がアメリカ潜水艦(ポラック)の雷撃により沈没する。隠岐は田子ノ浦丸の生存者を収容した。9月4日、横須賀着。以降の9月中の行動は不明。 11月2日、駆逐艦雷(第6駆逐隊)とともに4102船団(特設運送船衣笠丸)を護衛しトラック発。5日、海軍徴傭船日吉丸が船団に合流したところで船団を2つに分かち、隠岐は衣笠丸を、雷は日吉丸をそれぞれ護衛し各々横須賀へ向かう。8日、横須賀着。14日、3115船団(3隻+陽炎型駆逐艦雪風〈第16駆逐隊〉)を護衛し横須賀を出発する。航海中の11月15日、日本海軍は海上護衛総司令部(司令長官及川古志郎大将)を新編する。南西方面艦隊隷下の第一海上護衛隊と、第四艦隊隷下の第二海上護衛隊も、海上護衛総司令部隷下となった。19日、アメリカ潜水艦デイス(艦長ジョゼフ・F・エンライト少佐)が第3115船団に触接し、平安丸(日本郵船、11,614トン)を狙った。船団指揮官より敵潜水艦撃滅の命令が下り、隠岐は対潜戦闘を行う。北緯22度15分 東経148度20分 / 北緯22.250度 東経148.333度 / 22.250; 148.333の地点で爆雷戦を行い爆雷22個消耗。敵潜水艦より魚雷3本を撃ちこまれたが、回避したという。デイスによる船団への被害はなかったが、隠岐もデイスを仕留められなかった。23日、トラック着。25日、4125船団(特設運送船玉島丸)を護衛しトラック発。12月10日、横須賀着。 12月11日、3211甲船団(特設運送船御嶽山丸、同筥崎丸)を護衛し横須賀発。道中で筥崎丸が落伍したため、御嶽山丸を引き続き護衛し、20日トラック着。21日0518時、駆逐艦天霧(第11駆逐隊)が護衛していた特設運送船照川丸が、アメリカ潜水艦(スケート)の魚雷攻撃を受けて航行不能となる。第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将を指揮官とする照川丸救難隊(軽巡能代、駆逐艦浜風、雷、電)が編成され、トラック泊地を出撃する。また対潜掃蕩のため駆逐艦満潮(第24駆逐隊)が第二海上護衛隊の指揮下に入る。トラックに在泊していた隠岐は1200時にトラックを発し対潜掃蕩に向かう。隠岐は満潮駆逐艦長(原口曻中佐)の指揮下に入り、掃蕩隊(満潮、天霧、隠岐)として行動した。2020時、照川丸は沈没した。2100時、現場に到着して対潜掃蕩開始。掃蕩隊(満潮、隠岐など)は照川丸沈没後も掃蕩をおこなうが手掛かりを得られず、23日になって対潜掃蕩を打ち切った(満潮は第二海上護衛隊の指揮下を離れ、トラックへ帰投)。隠岐は落伍していた3211甲船団筥崎丸の護衛に向かう。24日、筥崎丸を伴ってトラック着。27日、第46号哨戒艇とともに4227船団(特設運送船興業丸)を護衛しトラック発。30日、北緯16度25分 東経146度00分 / 北緯16.417度 東経146.000度 / 16.417; 146.000の地点で潜水艦を探知し爆雷戦を行う。1月5日、横須賀着。ここで杉山(隠岐海防艦長)は駆逐艦皐月艦長に転任した。 1944年(昭和19年)1月20日、3120船団(4隻)を護衛し横須賀発。2月4日、トラック着。同地で、水上機母艦秋津洲(独立混成第五連隊の陸兵約1,000名が乗艦中)の護衛を任される。2月8日、秋津洲と隠岐はトラック泊地を出撃、東カロリン諸島ポナペ島に陸兵を移送し、2月11日にトラック泊地へ戻った。トラック島空襲直前の13日、隠岐は4212船団(4隻)を海防艦満珠、第31号駆潜艇と護衛しトラックを出発した。27日、4212船団部隊は横須賀に到着した。 3月1日、3301甲船団(3隻)を満珠とともに護衛し横須賀発。3月4日、父島二見港に寄港して特設掃海艇第八拓南丸を護衛に加える。5日、3301甲船団は東松一号甲船団の指定を受ける。同日、父島発。12日、トラック着。17日、筑紫丸船団(4隻)を護衛しトラック発。24日、サイパンに一旦寄港し、横須賀に向け同日出港。27日、横須賀着。3月から5月までの間に横須賀防備戦隊作戦指揮下、軍隊区分戊直接護衛部隊に編入されたが、日付は不明。
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