1943年-1944年3月 トラック方面護衛とは? わかりやすく解説

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1943年-1944年3月 トラック方面護衛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/23 08:04 UTC 版)

隠岐 (海防艦)」の記事における「1943年-1944年3月 トラック方面護衛」の解説

1943年昭和18年4月20日トラック行き船団護衛し横須賀出発した30日トラック泊地到着する以後1944年3月までトラック-横須賀間の護衛従事8月27日、4827船団海軍徴傭船田子ノ浦丸、同日威丸)を護衛しトラック発。9月3日夜、三宅島南東60km .mw-parser-output .geo-default,.mw-parser-output .geo-dms,.mw-parser-output .geo-dec{display:inline}.mw-parser-output .geo-nondefault,.mw-parser-output .geo-multi-punct{display:none}.mw-parser-output .longitude,.mw-parser-output .latitude{white-space:nowrap}北緯3343東経140度00分 / 北緯33.717度 東経140.000度 / 33.717; 140.000の地点で、田子ノ浦丸がアメリカ潜水艦ポラック)の雷撃により沈没する隠岐田子ノ浦丸の生存者収容した9月4日横須賀着。以降9月中の行動不明11月2日駆逐艦(第6駆逐隊とともに4102船団特設運送船衣笠丸)を護衛しトラック発。5日海軍徴傭日吉丸船団合流したところで船団2つ分かち隠岐衣笠丸を、日吉丸それぞれ護衛し各々横須賀へ向かう。8日横須賀着。14日、3115船団(3隻+陽炎型駆逐艦雪風〈第16駆逐隊〉)を護衛し横須賀出発する航海中の11月15日日本海軍海上護衛総司令部司令長官及川古志郎大将)を新編する。南西方面艦隊隷下第一海上護衛隊と、第四艦隊隷下第二海上護衛隊も、海上護衛総司令部隷下となった19日アメリカ潜水艦デイス艦長ジョゼフ・F・エンライト少佐)が第3115船団触接し、平安丸日本郵船11,614トン)を狙った船団指揮官より敵潜水艦撃滅命令下り隠岐対潜戦闘を行う。北緯2215東経14820分 / 北緯22.250度 東経148.333度 / 22.250; 148.333の地点爆雷戦を行い爆雷22消耗。敵潜水艦より魚雷3本撃ちこまれたが、回避したという。デイスによる船団への被害はなかったが、隠岐デイス仕留められなかった。23日トラック着。25日、4125船団特設運送船玉島丸)を護衛しトラック発。12月10日横須賀着。 12月11日、3211甲船団特設運送船御嶽山丸、同筥崎丸)を護衛し横須賀発。道中筥崎丸が落伍したため、御嶽山丸を引き続き護衛し20日トラック着。21日0518時、駆逐艦天霧(第11駆逐隊)が護衛していた特設運送船照川丸が、アメリカ潜水艦スケート)の魚雷攻撃受けて航行不能となる。第二水雷戦隊司令官早川幹夫少将指揮官とする照川丸救難隊軽巡能代駆逐艦浜風、電)が編成されトラック泊地出撃する。また対潜掃蕩のため駆逐艦満潮(第24駆逐隊)が第二海上護衛隊指揮下に入る。トラックに在泊していた隠岐1200時にトラック発し対潜掃蕩に向かう。隠岐満潮駆逐艦長原口中佐)の指揮下に入り掃蕩隊(満潮天霧隠岐)として行動した2020時、照川丸は沈没した2100時、現場到着して対潜掃蕩開始掃蕩隊(満潮隠岐など)は照川丸沈没後も掃蕩をおこなうが手掛かり得られず、23日になって対潜掃蕩打ち切った満潮第二海上護衛隊指揮下を離れトラック帰投)。隠岐落伍していた3211甲船団筥崎丸の護衛に向かう。24日筥崎丸を伴ってトラック着。27日第46号哨戒艇とともに4227船団特設運送船興業丸)を護衛しトラック発。30日北緯1625東経14600分 / 北緯16.417度 東経146.000度 / 16.417; 146.000の地点潜水艦探知し爆雷戦を行う。1月5日横須賀着。ここで杉山隠岐海防艦長)は駆逐艦皐月艦長転任した1944年昭和19年1月20日、3120船団(4隻)を護衛し横須賀発。2月4日トラック着。同地で、水上機母艦秋津洲独立混成第五連隊陸兵約1,000名が乗艦中)の護衛任される2月8日秋津洲隠岐トラック泊地出撃、東カロリン諸島ポナペ島陸兵移送し2月11日トラック泊地戻ったトラック島空襲直前13日隠岐は4212船団(4隻)を海防艦満珠、第31駆潜艇護衛しトラック出発した27日、4212船団部隊横須賀到着した3月1日、3301甲船団(3隻)を満珠とともに護衛し横須賀発。3月4日父島二見港寄港して特設掃海艇第八拓南丸を護衛加える。5日、3301甲船団東松一号船団指定を受ける。同日父島発。12日トラック着。17日筑紫丸船団(4隻)を護衛しトラック発。24日サイパンに一旦寄港し横須賀に向け同日出港27日横須賀着。3月から5月までの間に横須賀防備戦隊作戦指揮下、軍隊区分直接護衛部隊に編入されたが、日付不明

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