1943年10月 武装親衛隊への入隊
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「アンリ・フネ」の記事における「1943年10月 武装親衛隊への入隊」の解説
1943年10月初旬、フランス民兵団指導者ジョゼフ・ダルナン (Joseph Darnand) は民兵団の幹部数名を伴い、ベルリンの親衛隊本部長ゴットロープ・ベルガーSS大将(SS-Ogruf. Gottlob Berger:SS隊員(一般SS、武装SS、武装SS外国人義勇兵)募集活動の総責任者)と初めて会見した。そしてこの会談の結果、ドイツ側がフランス民兵団に武器を提供する代わりに、フランス民兵団が武装親衛隊フランス人義勇兵部隊へ人員を提供する運びとなった。 ベルガーとの会談の後、フランスに戻ったダルナンが一般の民兵団員と民兵団部隊長(chef:将校格の民兵団員)の中から武装親衛隊に所属してソビエト連邦と戦うことを望む者を募ったところ、予想より多くの志願者が集まった。このうち、志願した部隊長全員に許可を出すとフランス国内での民兵団の活動に支障が出るため、ダルナンは武装親衛隊へ入隊させる部隊長の人数を制限した(ベルガーとの会談前に既に武装親衛隊へ入隊していた者も含め、ダルナンは最終的に次の民兵団部隊長を武装親衛隊へ入隊させた)。 1943年10月 武装親衛隊へ志願したフランス民兵団部隊長ジャン・アルテュ (Jean Artus) イヴァン・バルトロメイ (Ivan Bartolomei) ピエール・ボンヌフォア (Pierre Bonnefoy) エミリアン・ボワイエ (Émilien Boyer) ピエール・カンス (Pierre Cance) ピエール・クレパン (Pierre Crespin) アンリ・フネ (Henri Fenet) レオン・ゴーティエ (Léon Gaultier) ジャック=フラヴィアン・ド・ラファイエ (Jacques-Flavien de Lafaye) フルク・ド・ラランティ=トロザン (Foulques de Lareinty-Tholozan) マルセル・ルフェーヴル (Marcel Lefèvre) ジャック・マソ (Jacques Massot) ポール・ピニャール=ベルテ (Paul Pignard-Berthet) アルベール・プジェ (Albert Pouget) ノエル・ド・ティソ (Noël de Tissot) 1943年10月18日、アンリ・フネは武装親衛隊へ志願入隊した。
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