1943年-1945年:活動の拡大
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「パルチザン (ユーゴスラビア)」の記事における「1943年-1945年:活動の拡大」の解説
連合国による航空支援や独ソ戦でドイツを押し返しバルカン半島に進撃してきたソ連軍による支援もあり、ウジツェ共和国の失敗以降目立って戦闘のなかったセルビアでも、1944年の後半にはパルティザンが支持を集めるようになった。1944年10月20日にはパルティザンとソ連軍の共同によるベオグラード攻勢(Belgrade Offensive)によって、ベオグラードが解放された。 1945年にはパルティザンの総数は80万人強に達しており、激戦となったスレム戦線を制し、4月初旬にはサラエヴォを解放、クロアチア独立国軍やドイツ国防軍を駆逐し、5月中旬にはクロアチア独立国の残りの領域とスロヴェニアを解放した。戦前はイタリア領であったリエカおよびイストラ半島を確保し、連合軍よりも2日早くトリエステを占領した。 第二次世界大戦のヨーロッパ最後の戦いであったポリャナの戦い(Battle of Poljana)は、1945年5月14日から15日にかけてスロヴェニアのコロシュカ地方・プレヴァリェにて発生し、パルティザンは退却中のドイツ国防軍やその協力者勢力と戦った。既に5月8日、ドイツ本国は降伏していた。欧州戦線における終戦 (第二次世界大戦)も参照。
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