ウジツェ共和国
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/10 07:50 UTC 版)
ウジツェは1941年、パルチザンによって解放されたウジツェ共和国の首都となった。共和国は短命な軍事小国家で、1941年秋に消滅するまでの間、ナチス・ドイツの傀儡政権であるセルビア救国政府の西部を占めていた。ウジツェ共和国は、現在のセルビア領の西部の大部分を占めており、その領域は、北はスクラーペジュ川(Skrapež)、西はドリナ川、東は大モラヴァ川 (en) 、南はウヴァツ川 (en) の範囲である。人口は300,000人で、当時軍事用に使われる製品が製造される工場が立地していた。鉄道や道路は機能しており、新聞や書籍も出版されていた。1941年9月に再びドイツ国防軍によって占領されパルチザンはボスニアやサンジャク、モンテネグロに逃れている。
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