ユーゴスラビアの抵抗運動とは? わかりやすく解説

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ユーゴスラビアの抵抗運動

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/29 15:11 UTC 版)

ユーゴスラビア人民解放戦争」の記事における「ユーゴスラビアの抵抗運動」の解説

詳細は「パルチザン (ユーゴスラビア)」および「チェトニク」を参照 初期の頃より、枢軸国対するユーゴスラビアの抵抗運動には2つ派閥があった。ひとつはパルティザンであり、これは共産主義者主導による民族超えたユーゴスラビア団結兄弟愛と統一)を掲げ共和制志向する左翼集団であったもうひとつチェトニクであり、これは保守派王党派による民族主義者集団で、ほぼセルビア人のみを支持母体とした。当初チェトニク西側連合国から承認されパルティザンソビエト連邦支持受けたパルティザン連合国全体から承認され支援を受けるようになったのは、チェトニク枢軸国協力関係にあることが広く知られるようになった1943年以降のことであったパルティザン正式名称ユーゴスラビア人解放軍およびパルチザン部隊NOV i POJ)はヨシップ・ブロズ・ティトー指導者とし、ドイツイタリアハンガリーブルガリアおよび傀儡政権対す闘争中心的役割果たしたスペイン内戦経験のある元義勇兵引き入れ、またスロベニアではTIGR英語版)のメンバー引き入れて兵員訓練充てた。また社会主義思想民族超えた支持集め役割果たし闘争通じて支持拡大し連合国およびロンドンユーゴスラビア王国亡命政府承認を得るに至ったパルティザンヨーロッパにおける第二次世界大戦最大抵抗運動へと成長し80万人兵員、4軍を擁するまでになったパルティザン国内外全ての敵対勢力排除し終戦後ユーゴスラビア民主連邦正規軍英語版となったマケドニアおよびスロベニアパルティザン活動ユーゴスラビア人民解放戦争一部含まれるものの、それぞれ地元民族根ざしており中央からの独立性高くマケドニア人解放軍英語版)、スロベニア・パルティザン部隊英語版)として独自の組織有した1944年マケドニアセルビアパルティザン司令官セルビア南部連絡取りマケドニアセルビア指揮系統統一、これによってマケドニアパルティザンヨシップ・ブロズ・ティトー指揮下に組み込まれるスロベニアパルティザンまた、1944年ティトー指揮下へと組み込まれた。マケドニア共産党英語版)の自治主義者らは、戦時中はマケドニア・パルティザンの中心的役割担ったが、1945年第2次マケドニア人民解放反ファシスト会議ASNOM)において完全に排除された。 王党派チェトニク正式名称父祖の地のユーゴスラビア軍、JVUO)は、ドラジャ・ミハイロヴィッチ指導者とし、枢軸国敗れて散り散りになったユーゴスラビア王国軍の残党中心に構成されセルビア人支持全面的に依存する組織であった枢軸国によるユーゴスラビア侵攻後、1941年4月17日ユーゴスラビア王国降伏した直後結成された。チェトニク結成当初ロンドンユーゴスラビア王国亡命政府および連合国から、抵抗運動として唯一承認され勢力であったパルティザンチェトニク初期には何度協力試みたものの、こうした試みはすぐに失敗終わったパルティザンとの交渉決裂すると、ミハイロヴィッチパルティザンへの敵対姿勢明確にし、パルティザンを主敵とみなすようになったミハイロヴィッチによると、これは、ドイツ軍報復としてセルビア人市民無差別処刑するのを防ぐための措置であった。しかしその後パルティザン活動止めることはなく、チェトニク1941年11月パルティザン攻撃したこの頃からチェトニクドイツイタリア協力し補給を受けることが多くなった。ミハイロヴィッチのもとへ派遣されイギリス連絡員は、ウジツェ共和国瓦解第1次パルチザン攻勢英語版))の後、ロンドンに対してミハイロヴィッチへの物資支援中止するよう求めたが、イギリスその後チェトニクへの支援続けた

※この「ユーゴスラビアの抵抗運動」の解説は、「ユーゴスラビア人民解放戦争」の解説の一部です。
「ユーゴスラビアの抵抗運動」を含む「ユーゴスラビア人民解放戦争」の記事については、「ユーゴスラビア人民解放戦争」の概要を参照ください。

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