ユーゴスラビアの成立と崩壊
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/08 00:03 UTC 版)
「セルビア・モンテネグロの歴史」の記事における「ユーゴスラビアの成立と崩壊」の解説
戦後の1946年、ヨシップ・ブロズ・チトーの指導のもと「ユーゴスラビア連邦人民共和国」(のちにユーゴスラビア社会主義連邦共和国に改称)が建国され、1953年にチトーが大統領となった。チトー率いるユーゴスラビア共産主義者同盟政権はソ連と一線を画した社会主義政策を展開し、第3世界の主要国としての地位を確立した。 1980年に強い指導力のもと民族融和に努めてきたチトーが死ぬと集団指導体制に移行。これを契機に民族対立が顕在化し、1990年にはクロアチア、スロベニアが独立。翌年には内戦が勃発した(クロアチア戦争、10日間戦争)翌年1992年にはユーゴスラビアは崩壊、さらにボスニア・ヘルツェゴビナが分離し、内戦が勃発した。1994年には国連による経済制裁を受け経済は壊滅。さらに1995年にはコソボ紛争が起こり北大西洋条約機構の空爆を受けた。2000年にはスロボダン・ミロシェヴィッチ政権が民衆の暴動で崩壊。2003年には緩やかな連合体である「セルビア・モンテネグロ」となった。 2006年、モンテネグロで行われた独立を問う国民投票で半数を超えたため、独立は必至となった。独立に反対するモンテネグロの野党連合は投票に不正の疑いが残っていると主張して国民投票管理委員会に異議申し立てをしたが、国際社会もモンテネグロの独立を容認。モンテネグロ共和国は、6月3日、独立を宣言。ここにセルビア・モンテネグロ及びユーゴスラビアは完全に解体した。
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