ユーゴスラビアの航空産業
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/23 00:29 UTC 版)
「S-49 (航空機)」の記事における「ユーゴスラビアの航空産業」の解説
第一次世界大戦後オスマン帝国やオーストリア・ハンガリー帝国等から独立を成し遂げたユーゴスラビアは、戦間期において独自の優れた航空産業を築き上げた。イカルスやロゴザルスキに代表されるユーゴスラビアの航空機メーカーは、戦闘機、爆撃機、飛行艇、多目的飛行機、グライダーなど軍民様々な機種の航空機を開発していった。ユーゴスラビア王国空軍には、第二次世界大戦直前の時点では、イギリスから輸入したホーカー フューリーやハリケーンMk.I、ドイツから輸入したメッサーシュミットBf 109Eが主力戦闘機として配備されていたが、国内メーカーではフューリーを基にしたイカルスIK-2、ハリケーンを基にしたイカルスIK-3/ロゴザルスキIK-Zといった戦闘機が開発・配備されていた。 しかしながら、第二次世界大戦初期におけるナチス・ドイツによる侵攻とクロアチア独立国の「独立」によりあらゆる産業は崩壊の憂き目に会い、航空産業もその例外とはならなかった。戦中は、主にクロアチアやスロヴェニアといった地域は枢軸国側に入り、一方イギリスやソ連などにはユーゴスラビア人部隊が組織された。特に、イギリス空軍に組織されたユーゴスラビアの戦闘機部隊については比較的よく知られており、そこではハリケーンMk.IIやスーパーマリン スピットファイアMk.V/IXなど第一線の機体が運用されていた。一方、クロアチアではBf 109GやフィアットG.50などを運用する戦闘機部隊の他、ユンカースJu 87、ドルニエDo 17などを運用する爆撃機部隊なども組織されていた。
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