1943年 ヴィシー政権の承認
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「第33SS武装擲弾兵師団」の記事における「1943年 ヴィシー政権の承認」の解説
一方、フランス本国では1942年6月下旬に三色旗軍団(Légion tricolore)という新たな義勇兵部隊が創設され、8月にヴィシー政権の法的裏付けを得て活動を開始した。三色旗軍団は、対ソ戦線で不評の反共フランス義勇軍団にとって代わる兵力の供給がさしあたりの目標とされ、将来は反共フランス義勇軍団をも吸収して国内外で政治活動をする構想であった。 しかし、フランス占領ドイツ軍は三色旗軍団がフランス正規軍の兵力増加に繋がると見て反対し、同年10月に三色旗軍団を解散に追い込んだ。さらに、同年11月27日、ドイツはフランスに残った唯一の正規軍であるヴィシー政権軍(Armée d'armistice)をも解散させた。 時のヴィシー政権の首相ピエール・ラヴァル(Pierre Laval)は、反共フランス義勇軍団をドイツに協力するための唯一の兵力と見なすほかなくなり、1943年2月に反共フランス義勇軍団を法的に認知した。この時期には、占領ドイツ軍の一連の干渉によって職を失った三色旗軍団とヴィシー政権軍のフランス軍人の一部が反共フランス義勇軍団に参加していた。 1943年8月27日、かつてフランス外人部隊の将校としてトンキン、モロッコ、シリア、レバノンを転戦した歴戦の勇士エドガー・ピュオ大佐(Colonel(Oberst) Edgar Puaud)が反共フランス義勇軍団に参加 し、同年9月に指揮官となった。
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