1943年 高雄警備府-舞鶴鎮守府-鎮海警備府
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「第二十号掃海艇」の記事における「1943年 高雄警備府-舞鶴鎮守府-鎮海警備府」の解説
1943年3月20日、台湾方面への配置替えの内示により船団護衛を兼ねて台湾方面へ回航。4月10日、第21号掃海艇とともに高雄警備府馬公方面特別根拠地隊に編入され、軍隊区分馬公方面防備部隊に編入。同日付で役務を舞鶴鎮守府警備掃海艇に定められる。馬公方面特別根拠地隊所属の澎湖と測天は、入れ替わる形で第八根拠地隊第八十一警備隊へ転出した。5月、馬公工作部で281件に及ぶ整備を実施。6月3日、馬公方面防備部隊編入を解かれ、軍隊区分基隆方面防備部隊に編入。8日以降、本艇が舞鶴鎮守府に転出するまで、基隆方面防備部隊指揮官は第20号掃海艇長に定められる。 7月10日、基隆から馬公へ向かう津山丸を1200時まで護衛し、その後海軍徴用船大和丸ほか3隻を高雄まで護衛。14日、バラストタンクと予備倉庫を重油タンク兼バラストタンクとする訓令が発せられる。15日、第21号掃海艇とともに舞鶴鎮守府に編入され、第一兵力部署海面防備部隊に、第二兵力部署護衛部隊第一護衛隊にそれぞれ編入。22日、舞鶴への回航を兼ねて283船団(10隻)の門司までの護衛を命ぜられ高雄発。舞鶴到着後は訓令工事のほか、若狭湾周辺での対潜掃蕩と哨戒に従事。 9月17日、鎮海警備府に編入され、隊内区分海上護衛部隊に編入。以後、鎮海や竹敷周辺海域での哨戒、対潜掃蕩、機雷処分、護衛に従事。
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