1940年代、多様化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/09 07:38 UTC 版)
1941年、アメリカ、第二次世界大戦参戦。 1940年代以降ブギウギは従来のピアノ演奏の一形態から、よりポピュラーな音楽として様々なジャンルの楽器演奏者、歌手に幅広い解釈をもって取り入れられる。 スィングとポピュラー 1940年、ウィル・ブラッドリー楽団「スクラブ・ミー・ママ・ウィズ・ア・ブギー・ビート」(2位) 1941年、アンドリューズ・シスターズ「ブギウギ・ビューグル・ボーイ」 1942年、フレディ・スラック楽団「カウ・カウ・ブギ」(9位) 1944年、インク・スポッツ&エラ・フィッツジェラルド「カウ・カウ・ブギ」(10位) 1944年、ライオネル・ハンプトン楽団「ハンプス・ブギ・ウギ」(18位) 1946年、カウント・ベイシー「ザ・マッド・ブギ」(10位) 1946年、フレディ・マーティン楽団「バンブル・ブギ」(7位) 1946年、ジーン・クルーパ楽団「ブギ・ブルース」(9位) 1947年、カウント・ベイシー「ワン・オクロック・ブギ」(8位) カントリー&ウェスタン 1944年9月、アーサー・スミス「ギター・ブギー」録音。ジャズ・ギタリストのスミスはトミー・ドーシー「ブギウギ」を元にこの曲を書き、1944年スーパーディスク・レコードから発売、1949年同じマスターを使用したMGM盤がヒットした。同曲はレス・ポール・トリオ (1946)、チャック・ベリー (1958)、フレディ・キング (1960)、スティーヴィー・レイ・ヴォーン、トミー・エマニュエルなどジャンルを超え多くのギタリストに演奏、録音される。 戦後、ブギウギ・リズムを基調としたカントリー音楽が流行。ヒルビリー・バップと呼ばれ、1950年代中期のロックンロール、ロカビリーの基礎となる。デルモア・ブラザース「フレイト・トレイン・ブギ」(1946)、テネシー・アーニー・フォード「ショットガン・ブギー」(1951 C&W1位)、ロイ・ホール「ホール・ロッタ・シェイキン・ゴーイン・オン」(1956)、など多くのカントリー・ミュージシャンがブギーをレパートリーにした。 ブルースとロック ハダ・ブルックス、1916年ロサンゼルス生まれ 幼少からクラシック・ピアノを学ぶ。1940年代中頃レコード店で演奏している時にジュークボックス修理工から声をかけられる。「君の最初の録音に800ドルの投資をしたい。ただし2週間でブギが弾けるようになるなら。」モダン・レコードを設立する直前のジュール・バイハリだった。1945年モダンからリリースした「Swingin' the Boogie」がヒット、「ブギの女王」と呼ばれる。1947年、「アウト・オブ・ザ・ブルー」(Out of the Blue) に歌手として出演、1951年黒人女性として最初のTV番組「ハダ・ブルックス・ショー」を持つ。2002年死去。 1948年9月、ジョン・リー・フッカー「ブギー・チレン」吹き込み。当時ブルースは一人で歌いギターを弾くスタイルは過去のものとなりバンド・アンサンブルが主流となっていた。しかしプロデューサー、バーナード・ベスマンはフッカーには弾き語りのスタイルが合うと確信。フッカーのフットストンプ音 (足踏み) を強調するよう足元に板を用意、エコー効果を出すために便器に設置したスピーカーの音を拾った。「サリー・メイ」一曲に3時間を費やすなど録音は難航したがベスマンは自らブギ・ピアノを弾いて聞かせ、それをフッカーなりの解釈で演奏した「ブギー・チレン」が完成。1948年11月3日、モダン・レーベルから発売、R&B部門1位を獲得する。 ジャンプ・ブルースのルイ・ジョーダンも、ブギー・リズムのヒット曲を持っている。70年代前半には英国のグラム・ロックでも、さかんにブギーのリズムが使用された。70年代後半以降は、ブギー・リズムが使われることは減少し、カントリーやブルースの分野などで、使用が見られる程度になっている。
※この「1940年代、多様化」の解説は、「ブギ」の解説の一部です。
「1940年代、多様化」を含む「ブギ」の記事については、「ブギ」の概要を参照ください。
- 1940年代、多様化のページへのリンク