1940年代 - ラ・マキナとの戦い、2連覇を達成
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「ボカ・ジュニアーズ」の記事における「1940年代 - ラ・マキナとの戦い、2連覇を達成」の解説
1940年5月25日、新スタジアムラ・ボンボネーラがこけら落としとなり、ボカとCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロによる記念試合が行われた。そして、この1940年シーズン、ボカは優勝を果たした。この時のメンバーには、ハイメ・サルランガ、ラザッティ、フアン・エストラーダなどが居た。 1941年から1942年にかけてライバルのCAリーベル・プレートがLa Maquina(ラ・マキナ)と呼ばれる圧倒的な攻撃陣を擁していたことでボカは苦杯を舐めていた。しかし、1943年アルフレッド・ガルシーニが監督に就任した。そして、ウルグアイ人フォワードのセベリーノ・バレラが入団して活躍した。すると1943年シーズン、ボカは最終節でリーベルの追走をかわして優勝を成し遂げた。 翌1944年シーズン、ボカは26試合無敗記録というプロ化以降のリーグ新記録を樹立して、そしてまたしても最終節でリーベルの追走をかわして優勝を果たした。これでボカは1943年、1944年と2連覇を達成した。このチームはラ・マキナを擁する強いリーベル・プレートを破り2連覇を達成したのでクラブ史上最強チームの1つとされている。このチームのメンバーには、バレラ、サルランガ、ラザッティの他に、マリオ・ボジェ、ピオ・コルクエラ、ナタリオ・ペシア、カルロス・ソサなどがいた。しかし、1940年代後半は再びリーベル・プレートがアルフレッド・ディ・ステファノ、アマデオ・カリーソ、ネストル・ロッシなど偉大な選手がデビューしたので盛り返し、ボカは1945年、1946年、1947年と3年連続で2位に終わった。そして1949年シーズンは18チーム中、15位と低迷してもう少しで1部2部の入れ替え戦プレーオフに回るという危機に瀕した。
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