アマデオ・カリーソとは? わかりやすく解説

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アマデオ・カリーソ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/29 02:30 UTC 版)

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この名前は、スペイン語圏の人名慣習に従っています。第一姓(父方の)はカリーソ第二姓(母方の)はラレタペです。
アマデオ・カリーソ
名前
本名 アマデオ・ラウル・カリーソ・ラレタペ
Amadeo Raúl Carrizo Larretape
愛称 Tarzán
ラテン文字 Amadeo CARRIZO
基本情報
国籍 アルゼンチン
生年月日 (1926-06-12) 1926年6月12日
出身地 ルフィーノスペイン語版
没年月日 (2020-03-20) 2020年3月20日(93歳没)
身長 188cm
体重 86kg
選手情報
ポジション GK
代表歴
1954-1964 アルゼンチン 20 (0)
■テンプレート■ノート ■解説■サッカー選手pj

アマデオ・カリーソ (Amadeo Carrizo) こと、アマデオ・ラウル・カリーソ・ラレタペ(Amadeo Raúl Carrizo Larretape, 1926年6月12日 - 2020年3月20日)は、アルゼンチンサンタフェ州ルフィーノ出身の元サッカー選手。ポジションはゴールキーパー

国際サッカー歴史統計連盟から20世紀で10番目に偉大なGKに選ばれ、ウーゴ・ガッティレネ・イギータホセ・ルイス・チラベルトらその後の南米出身のGKに大きな影響を与えた[1]

CAリーベル・プレートでは20年以上プレーし、1952年、1953年、1955年、1956年、1957年と5度のリーグ優勝を経験。520試合に出場して同クラブ歴代最多出場記録を持つ。また、アルゼンチン代表としても20試合に出場し、1958年のFIFAワールドカップにも招集された。カリーソは全3試合にスタメン出場したが、アルゼンチンはグループリーグで敗退してしまった。

所属クラブ

脚注

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