19世紀-20世紀初頭、初期モダニズムと写実主義の継続
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近代古典主義は19世紀の古典的な彫刻と多くの点で対照的であった。19世紀のものは、自然主義への傾倒(アントワーヌ=ルイ・バリー)や、芝居がかっていたり(フランソワ・リュード)、感傷的であったり(ジャン=バティスト・カルポー)、ある種の厳かな壮大さ(フレデリック・レイトン)を特徴としていた。古典的伝統におけるの幾つかの方針変更は世紀の移り変わりだと受け取られたが、実在のモデルとルネッサンス以降の伝統研究が彼らにとって依然として基本的なものだった。オーギュスト・ロダンは20世紀初頭のヨーロッパで最も有名な彫刻家の一人である。彼はしばしば印象派彫刻家と見なされ、カミーユ・クローデルやヒューゴ・ラインホルドなどの弟子たちは、普通の生活のちょっとした瞬間をモデルにしようとした。 近代古典主義は、自然主義への関心が低いものの 堅苦しい様式化への大きな関心がうかがえる。容積と空間とが織りなす律動に大きな注意が払われ、同様に対照的な表面の性質(開いた、閉じた、平面的、壊れた等)にも注意が払われたが、一方で物語の叙述および解剖学や衣装の説得力ある細部にはさほど注意が払われなくなった。肉体の写実主義よりも心理的効果に大きな注意が払われ、世界各地で使われた従来様式から影響を受けた。 近代古典主義の初期には、アリスティド・マイヨール、ジョゼフ・ベルナール、アントワーヌ・ブールデル、リベロ・アンドレオッティ、グスタフ・ヴィーゲラン、ヤン・シュトゥルサ、コンスタンティン・ブランクーシなどの巨匠がいた。世紀が進むにつれて、近代古典主義はナチス・ドイツとソビエト・ロシアという2つの大きな欧州全体主義帝国の国民的様式として採用され、ドイツではゲオルク・コルベやヴィルヘルム・レームブルック、ロシアではアレクサンドル・ マトヴェーエフといった芸術家の作品が選出された。ソ連の70年以上にわたって、新世代の彫刻家が彼らのシステム内で養成および選出され、19世紀のメロドラマと自然主義の強調に回帰した独自様式、社会主義リアリズムが発展した。 古典の養成は1970年までに西ヨーロッパ(およびアメリカ大陸)の美術教育に根ざしたもので、20世紀の古典的な変種はモダニズムの歴史において重視されなかった。しかし、古典主義は1990年までソ連アカデミーで美術教育の基礎として継続し、東ヨーロッパと中東の一部に表現力豊かなフィギュラティヴ・アートの基盤を提供した。2000年までに、ヨーロッパの古典伝統は公共に広い訴求力を保っているが、その現代的な発展を復活させる教育が課題となっている。 近代古典主義では、より装飾的なアール・デコ(ポール・マンシップ、ホセ・デ・クリーフト、カール・ミレス)や、より抽象的に様式化された表現力豊かなゴシック調(アントン・ハナク、ヴィルヘルム・レームブルック、エルンスト・バルラハ、アルトゥーロ・マルティーニ)、ルネサンス回帰(ジャコモ・マンズー、ヴェナンツォ・クロチェッティ)、あるいは現状維持(シャルル・デスピオ、マルセル・ジモン)なども一部に見られた。 フランソワ・リュード作『ジャンヌ・ダルク』像、1852年。ロマン主義作品、ルーヴル美術館 ジャン=バティスト・カルポー作『ウゴリーノとその息子たち』1857-1860年。メトロポリタン美術館 オーギュスト・ロダン作『カレーの市民』1889年。カレー (フランス) アルフレッド・ギルバート作の通称『エロス像 』1893年。ロンドンのピカデリーサーカスにある世界初のアルミニウム像 ポール・ゴーギャン作『オヴィリ』1894年。部分的に艶出しした炻器、75 x 19 x 27cm、オルセー美術館 オーギュスト・ロダン作『考える人』1902年。ロダン美術館 (パリ) アントワーヌ・ブールデル作『Day and Night』1903年の大理石像。パリのブールデル美術館 カミーユ・クローデル作『ワルツ』1905年。 2度目の鋳造 ヤン・シュトゥルサ作『入浴前』1906年。プラハ国立美術館 アリスティド・マイヨール作『夜』1909年。パリのテュイルリー庭園
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