19世紀〜独立まで
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 07:01 UTC 版)
「ジャマイカ史年表」の記事における「19世紀〜独立まで」の解説
1807年 英国議会は、アフリカ、ジャマイカ間の奴隷貿易を廃止する。 1831年 奴隷でありバプテスト教会の説教師であったサム・シャープ (Sam Sharpe) が起こした反乱、バプテスト戦争が起こる。 1833年 奴隷制度廃止法案が英国議会で可決される。 1834年 奴隷制が廃止される。 1838年8月1日 徒弟制度も廃止され、黒人は、貧しいながらも完全なる自由を獲得する。 1865年10月1日 ポール・ボーグルによるモラント・ベイの反乱(ジャマイカ事件)が起こる。事態の終息のため英国王室が介入することになり、植民地議会制度を廃止する。 1872年 首都を港湾都市として発展したキングストン (ジャマイカ)に移す。 1920年代 砂糖産業の衰退に伴って、都市に流入した新たな労働者層の組合が作られた。 1930年代 世界的な大恐慌により、中産階級と賃金労働者階級に重大な影響を与え、昇給などの労働条件の改善を求めて暴動やストライキが多発する。 1938年 ノーマン・マンリーが人民国家党 (PNP)を結党する。 1943年 アレクサンダー・バスタマンテがジャマイカ労働党 (JLP)を結党する。 1944年 「ジャマイカに関する勅令」により、普通選挙による議会が設置され、同時に総選挙が実施される。 1957年 自治政府が認められる。
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