19世紀、20世紀の発展
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 15:43 UTC 版)
「ロンドンデリー」の記事における「19世紀、20世紀の発展」の解説
ロンドンデリーで初めて運行された鉄道はアイルランド軌間(5 ft 3 in (1,600 mm))であるロンドンデリー・アンド・エニスキレン鉄道(英語版) (L&ER)で、1845年に建設が開始され、一時的な駅としてフォイル川のシティサイドにロンドンデリー・カウ・マーケット駅(英語版)が置かれ、1847年にストラバーンにまで達し、1850年にカウ・マーケット駅から恒久的な終点であるフォイルサイドまで延長、1852年にオマーまで、1854年にエニスキレンまで達したが、1883年にグレート・ノーザン鉄道(英語版)に吸収された。 ロンドンデリー・アンド・コルレイン鉄道(英語版) (L&CR)もアイルランド軌間であり、1852年に終点であるウォーターサイドまで達して開業した。ベルファスト・アンド・ノーザン・カウンティーズ鉄道が1861年にこの路線をリースし、1871年に引き継いだ。 1863年にロンドンデリー・アンド・ラフ・スウィリー鉄道(L&LSR)がラフ・スィリーのファーランド・ポイントと一時的な終点であるペニーバーン間で開業し、1866年にペニーバーンから恒久的な終点であるグレイビング・ドックまで延長された。L&LSRは1885年までアイルランド軌間だったが、レターケニー鉄道が乗り入れるにあたり3 ft (914 mm)の狭軌に改軌された。 1867年にグレイビング・ドックからミドル・キー経由でフォイル・ロード駅へ繋ぐロンドンデリー港湾施設委員会鉄道 (LPHC)が開業し、1868年に新しいカーライル橋を渡る形でウォーターサイド駅まで延伸した。このカーライル橋は1933年に二重橋であるクレイガボン橋に置き換えられ、LPHC鉄道は下部を通ることになった。 1900年に3 ft (914 mm)の軌間であるドニゴール鉄道(英語版)がストラバーンからロンドンデリーまで延伸し、ヴィクトリア・ロード駅(英語版)に終点が設けられたが、ヴィクトリア・ロード駅はカーライル橋の隣にあり、LPHC鉄道の連絡駅だった。LPHC線はドニゴール鉄道やL&LSR間だけでなくアイルランド軌間のGNRやB&NCR間の通行が可能になる3 ft (914 mm)の軌間に対応した三線軌条に改造された。1906年、ノーザン・カウンティーズ委員会 (NCC、B&NCRの後継)とGNRは県鉄道を共同で傘下に収め、県鉄道合同委員会 (CDRJC)を立ち上げた。 イギリス政府は県最奥部までの長距離鉄道を建設するためにL&LSRとドニゴール鉄道を買収し、1905年までに県のほとんどに鉄道を張り巡らせロンドンデリーやストラバーンを県の主要鉄道ハブ都市にした。 1897年にシティ・オブ・デリートラムウェイ(英語版)が開業、標準軌 (1,435 mm (4 ft 8 1⁄2 in))の馬車鉄道として運行され電化されることはなく、全長2.4kmの単線のみでフォイル川のシティサイド沿いに走り、LPHCの川側にある鉄道と平行していたが、1919年に運行を終了した。
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