capitulation
「capitulation」の意味・「capitulation」とは
「capitulation」は英語の単語で、日本語では「降伏」や「投降」といった意味を持つ。主に戦争や競争状況において、自身の敗北を認めて相手に服従する行為を指す。また、広義には、自己の主張や信念を放棄し、他人の意見や要求に従うことをも指す。「capitulation」の発音・読み方
「capitulation」の発音は、IPA表記では/kəˌpɪtʃəˈleɪʃən/となる。IPAのカタカナ読みでは「カピチュレイション」となり、日本人が発音するカタカナ英語では「カピチュレーション」が近い。「capitulation」の定義を英語で解説
The term "capitulation" refers to the act of surrendering or yielding to an opponent, especially in a military context. It implies the acceptance of defeat and the cessation of resistance. In a broader sense, it can also denote the abandonment of one's beliefs or principles in favor of another's demands or opinions.「capitulation」の類語
「capitulation」の類語としては、「surrender」、「yield」、「submission」などがある。これらの単語も同様に、敵に対する降伏や自己の主張の放棄を表す。「capitulation」に関連する用語・表現
「capitulation」に関連する用語としては、「truce」(休戦)、「armistice」(停戦)、「concession」(譲歩)などがある。これらはすべて、対立状況における和解や妥協を示す表現である。「capitulation」の例文
1. English: The army's capitulation was inevitable after the loss of their main base.日本語訳: 主要基地を失った後、その軍の降伏は避けられなかった。 2. English: The company's capitulation to the union's demands surprised everyone.
日本語訳: 会社が労働組合の要求に降伏したことは誰もが驚いた。 3. English: His capitulation to her argument was unexpected.
日本語訳: 彼が彼女の主張に投降したのは予想外だった。 4. English: The capitulation of the enemy forces marked the end of the war.
日本語訳: 敵軍の降伏が戦争の終結を示した。 5. English: The capitulation to the rival team was a bitter pill to swallow.
日本語訳: ライバルチームに降伏することは、つらい経験だった。 6. English: The capitulation of their beliefs for the sake of peace was a tough decision.
日本語訳: 平和のために自分たちの信念を投げ出すことは、困難な決断だった。 7. English: The capitulation to the new policy was seen as a sign of weakness.
日本語訳: 新政策に対する降伏は、弱さの印と見なされた。 8. English: The capitulation of the rebels led to a peaceful resolution.
日本語訳: 反乱軍の降伏が平和的な解決につながった。 9. English: The capitulation to the demands of the protesters was a strategic move.
日本語訳: 抗議者の要求に投降することは、戦略的な動きだった。 10. English: The capitulation of the government to the public outcry was a historic moment.
日本語訳: 政府が公の憤りに投降したのは、歴史的な瞬間だった。
カピチュレーション
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/10 13:29 UTC 版)
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カピチュレーション(トルコ語: kapitülasyonları、フランス語: capitulations、英語: capitulations)とは、オスマン帝国が領内在住の外国人に対し恩恵的に認めた特権である。通商・居住の自由、租税免除、身体・財産・企業の安全などを保障した。
1536年にスレイマン1世が仏王フランソワ1世に与えたとされているが、正確にはフランス使節がオスマン帝国大宰相と合意した条約案である。フランスへの最初のものとして確実なものは、セリム2世の1569年に締結された。1579年にイギリス、1613年にオランダにも同様の特権が認められた。また、18世紀までにオーストリア・ロシア・スウェーデン・プロイセンなどにも商業特権が与えられた。
語義
西欧語capitulationには「(条件付き)降伏」「服伏文書」「服従」といった語義が含まれるため[1][注釈 1]誤解されることが多いが、イタリア語の「章」を意味するcapitulaの複数形capitoliに由来し、対応する英語ではchaptersすなわち「諸章」といった意味しかない[2]。オスマン帝国では敵対国との講和についての取り決めも、通商居留勅許(友好諸国へのカピチュレーション)のいずれも「条約の書(アフドナーメ)」と呼んでおり、オスマン朝の君主が下賜するものであって、アフドはアラビア語で「契約」「約束」を、ナーメはペルシア語の「文書」を意味する[2]。
概要
マムルーク朝を併合したオスマン帝国も、アフドナーメ(条約の書)を結んでムスターミンを受け入れた。アフドナーメの条項は多岐にわたる。特に対外的に重要な部分は西洋でカピチュレーションと呼ばれてきた。アフドナーメは、ドゥブロヴニク・ガラタ・ナクソス公国などに保護の条件を示したり、ヴェネツィアやポーランドなどへ友好・講和を打診したりした。ヴェネツィアの場合、マムルーク朝の併合に伴い適用範囲がシリアとエジプトに拡大した。
フランスとのカピチュレーションは、オスマン帝国にとり経済的・政治的な意味を持っていた。首都イスタンブールを中心としたレヴァント貿易を活性化させる経済目的と、フランスとの関係を密にする政治目的である。当時オスマン帝国とフランスは、スペイン・ハプスブルク朝という共通の敵をもっていた。スペインと神聖ローマ帝国に挟まれたフランソワ1世はスレイマン1世に援助を求めた。そこでスレイマン1世はオスマン帝国という「強国」の支配者として、「弱国」たるフランスに恩恵的に特権を与えた。これは、後のチューリップ時代でフランス文化を輸入するきっかけとなった。
カピチュレーションは融通が利いた。租界の官憲や裁判官に法解釈がなされた。また、オスマン・ヨーロッパ間の当局者同士が運用をめぐり交渉した。18世紀になると西欧諸国による不平等条約締結の恰好の足がかりになった。1740年にオスマン帝国がフランスに認めたカピチュレーションでは、スルタンから認められた一代限りの恩恵という形でなく、両国が対等な立場に立つことが定められており、オスマン帝国側に履行の義務が課されることになった。
19世紀末、オスマン債務管理局を足場に展開される公共事業をカピチュレーションが保護した。
発祥
シャリーアはジハードがいずれ世界をイスラム教で覆うと考える。その経過措置として、ムスリムと異教徒が相互に安全保障アマーンを与え合うのだという。アマーンを受ける者はムスターミンと呼ばれる。アマーンは経過措置であるから期限付きであった。
11世紀に始まる地中海交易の隆盛に臨んで、イスラム諸国はヴェネツィアやジェノヴァなどからくる商人をムスターミンとして受け入れた。居留と活動の条件はムスリム君主との交渉で決まり、勅令で公布された。ムスターミンの活動しやすい条件整備が多くの勅令で目的とされた。マムルーク朝の場合、ムスターミンのヨーロッパ人は自分たちを代表する領事が、身内紛争における治外法権とムスリム君主への交渉権を認められていた。なお一般の商人は、出身国が同じだけでは連帯責任を課されないことになっていた。
脚注
注釈
- ^ なお動詞capitulateの語源はラテン語「条項」である。(条件付きで)降伏する、(不本意ながら)(…に)屈服する、従う Weblio "capitulate"
出典
- ^ capitulationとは 意味・読み方・使い方 Weblio "capitulation"
- ^ a b 松井真子 2021, p. 151–152.
参考文献
- 松井真子「1680年対蘭カピチュレーションの概要」『人間文化 : 愛知学院大学人間文化研究所紀要』第36号、愛知学院大学人間文化研究所、2021年9月20日、104-87頁、CRID 1390853651038031488、doi:10.34513/00003162、 ISSN 0910-8424。
関連文献
- 堀井優「世界史Q&A 近世オスマン帝国のカピチュレーションについて教えてください」『歴史と地理』第674号、山川出版社、2014年5月、41-43頁、 CRID 1524232504968715008、 ISSN 13435957、 NAID 40020105161。
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