反乱軍の降伏
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/08/01 14:21 UTC 版)
反乱軍の攻撃を撃退したボリビア軍であったが、補給が困難なため反乱軍を鎮圧するまでの力はなかった。リオシノにあったイスマエル・モンテスの率いる部隊もメルセデスへの一時撤退を検討していた。一方で、反乱軍も今後の方針について内部分裂した状態であった。 アクレ川の国境で足どめされたまま、進展しない状況に業を煮やした商船の船長たちは、反乱軍の封鎖を突破することを決めた。1900年12月29日、商船団は白旗を掲げて、封鎖を突破し、プエルト・アロンソに入り、ボリビア側と取引を行った。状況不利と見て、反乱軍を抜けてゴム採取に戻る者が出はじめた。1901年に入り、反乱軍は、正式に降伏した。
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