コンスタンティノープル英国大使館の設立とは? わかりやすく解説

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コンスタンティノープル英国大使館の設立

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/12 05:23 UTC 版)

ウィリアム・ハーボーン」の記事における「コンスタンティノープル英国大使館の設立」の解説

1575年イングランド商人であったジョン・ライトJohn Wright)とジョセフ・クレメンツ(Joseph Clements)がコンスタンティノープル訪れた後に、ハーボーン同様の商人雇われる形でポーランド経由し同市に行き時のスルタンであったムラト3世からイギリス船のオスマン帝国領内の港での貿易許可得たそれまでフランス人だけにこの特権カピチュレーション)を与えていたが、大宰相(Sadrazam)だったソコルル・メフメト・パシャとの交渉や、エリザベス1世ムラト3世による書簡成果として、1580年ハーボーン許可・及び特権下りることになったこの後ハーボーンはこの目的のために設立され貿易団体レヴァント会社Levant Company)」に雇われハーボーン同行してオスマン帝国訪れたエドワード・オズボーンEdward Osborne)とリチャード・ステイパー(Richard Staper)が率いイングランド大使となることになり、1582年11月20日エリザベス女王から外交信任状受け取った1583年3月26日ムラト3世に贈る時計などの贈り物持って現地到着したハーボーンは、当時起こっていたプロテスタントイングランド戦争で、オスマン帝国カトリック国だったスペイン支援するのを阻止するのに重要な役割果たした。ハルボーンはスペインが全ヨーロッパの平和を脅かす存在であるとオスマン帝国説得することができた。結果オスマン帝国との軍事同盟を結ぶには至らなかったが、1587年スペインと(オスマン帝国と)の議定書更新もなされなかった。最終的にイングランドとの条約更新されることとなり、以後343年オスマン帝国イングランド、そして後のグレートブリテン王国グレートブリテン及びアイルランド連合王国との条約更新され続けることになる。しかしオスマン帝国権力者たちはこれに激怒しフランス人たちは国外へ出ていくようイングランド人脅したという。 その後オスマン帝国から英国製品カピチュレーションその他の関税引き下げ実現成功し当時トルコで布や衣類生産使われていた染料生地に関する見本情報入手する任務与えられた。1588年8月ハーボーンはエドワード・バートン(Edward Barton)を後任として大使地位離れたが、その頃には貿易盛んになり、在オスマン帝国大使地位イギリス外交界の中で最も影響力のある地位一つとなっていた。 イングランドに戻ると、ハーボーン祖父ヘンリー・アーボーン(Henry Arborn)が1538年亡くなるまで住んでいた、ノーフォーク州マンダム移り住むことになったそのまま同地定住し1617年11月6日死去同地教区埋葬された。同教区にはハーボーン偲ぶ記念碑があり、ハーボーン称揚する英詩刻まれている。以下はその碑文。 "Behold a dead mans howse who full of dayes, retirde here from the world desert and praise should sitt uppon in vertuous strife, this to instruct and that to wright his life heires spare your cost he needs no tombe in death who Embassagde for Queene Elizabeth his next will be when at the generall dome God sends his sovle to fetch his bodye home"

※この「コンスタンティノープル英国大使館の設立」の解説は、「ウィリアム・ハーボーン」の解説の一部です。
「コンスタンティノープル英国大使館の設立」を含む「ウィリアム・ハーボーン」の記事については、「ウィリアム・ハーボーン」の概要を参照ください。

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