黒髭としてとは? わかりやすく解説

黒髭として

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/03 14:47 UTC 版)

黒髭」の記事における「黒髭として」の解説

1717年11月28日ティーチ指揮する2隻の船は、セントビンセント島沖でフランス大型商船攻撃した。彼らの舷側砲による砲撃舷墻超え何人かの船員死に船長降伏した拿捕された船はサン・マロ所属するフランス大型奴隷船(Guineamen)ラ・コンコルド号で、奴隷輸送であったティーチたちは、セントビンセント・グレナディーン沿って南方ベキア島向かい、そこでラ・コンコルド号の船員積荷奴隷)を下船させた後、船を自分たちの使用目的合わせ改造したティーチは、ラ・コンコルド号の船員たちに所有する2隻のスループ船の内、小さい方をMauvaise Rencontre号(悪い意味を持つ)と改名し与え、その船はマルティニーク島向かった奴隷たちに関しては、ティーチ何人かを仲間迎え入れたかもしれないが、残りは島に取り残され、後に戻ってきたMauvaise Rencontre号の船員たちに回収された。 ティーチはすぐにラ・コンコルド号をアン女王の復讐号改名し40門の大砲配備させた。この時までにティーチ部下ルテナント・リチャーズに、ボネットリベンジ号の指揮権与えている。11月下旬セントビンセント島近くGreat Allen号を襲撃し長い交戦の末に、この大型武装商船降伏させた。ティーチは岸に着けるよう命令する船員たちを下船させ、積荷奪ってから火をつけて沈めた。この事件はボストン・ニュースレターで報じられティーチは「32門のフランス船、10門のブリガンティン12門のスループ船」を指揮していたという。ティーチがいつ10門のブリガンティン手に入れたのかは不明だが、この時までに少なくとも約150の手下と3隻の船を率いていたもの思われる12月5日ティーチは、アンギラ島近くカニ島の浜に停泊であったスループ船商船マーガレット号を拿捕した船長ボストック船員たちは約8時間渡ってティーチ捕虜として、自分たちの船が蹂躙されるのを見ることを強いられたアン女王の復讐号船内勾留されたボストックだったが、その後マーガレット号に無傷解放され、他の船員と共に帰ることを許された。彼がセントクリストファー島駐屯基地戻って、このことをウォルター・ハミルトン総督報告すると、総督宣誓供述書(Affidavit)にしたためるよう要請したボストック口述書では、ティーチ指揮する2隻の船舶について詳しく書かれている。それによれば1隻のスループ船と、フランス大型奴隷船からなりオランダ製36門の大砲300の手下たちを擁していたという。その大型船にはGreat Allen号の艦長から奪った思われる高価な金粉や銀のメッキ品、また「とても精巧なカップa very fine cup)」があった。ティーチの手下は、ボストックに他の船舶いくつか襲ったことや、イスパニョーラ島向かい駐屯軍支払資金運んだスペイン艦隊待ち伏せする計画立てていることなどを明かしてきた。ボストックはまたティーチ現地の船の動きについて質問してきただけではなく近く海賊対する王の恩赦が行われるかもしれない伝えた時に特に驚いた様子見せなかったとも述べている。 So our Heroe, Captain Teach, assumed the Cognomen of Black-beard, from that large Quantity of Hair, which, like a frightful Meteor, covered his whole Face, and frightened America more than any Comet that has appeared there a long Time. This Beard was black, which he suffered to grow of an extravagant Length; as to Breadth, it came up to his Eyes; he was accustomed to twist it with Ribbons, in small Tails, after the Manner of our Ramilies Wiggs, and turn them about his Ears “ ” チャールズ・ジョンソン海賊史ボストックによればティーチは「背の高い引き締まった体格の男で、とても豊かな黒いアゴ髭をしていた」と説明している。これがティーチ容姿に関する最初の記録であり、彼の異名黒髭」の由来である。後の記録では、彼は豊かな黒髭をおさげ状に編み込み、時々、色のついた小さなリボンを結びつけていたという。『海賊史』では「地獄から来たような凶暴さをより恐ろしく見せるように、常人では思いつかないようなアイデア基づいた格好をしていた」と説明されている。この記述まさしく事実誇張かは不明だが、ティーチ外見価値理解してたように思われる。ただ怒鳴り散らすよりも、相手の心に恐怖抱かせることを重視していた。ティーチは背が高く肩幅広かった。膝丈のブーツに暗い色の服を着込み、つば広帽に、時に鮮やかな色のシルクビロードロングコート着ていた。『海賊史』ではまた、戦闘中ティーチは「肩がけにした吊り帯に3対(6丁)のピストルセットされ弾帯のようなホルスターぶら下がっており、帽子の下には点火した導火線(スローマッチ)をつけていた」という。後者明らかに恐ろしい外見相手誇示するのが目的だった。コンスタムによればティーチはその悪名高さに反して捕虜殺害したり、暴力くわえたことを証明する記録はないという。ただ、別名を使っていた可能性はあり、11月30日にモンセラーテ・マーチャント号は、Kentish船長エドワード船長指揮する2隻のスループ船遭遇したというが、このエドワードとはスティード・ボネットの別名である。

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