鳩山由紀夫内閣発足
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/31 05:23 UTC 版)
「普天間基地移設問題」の記事における「鳩山由紀夫内閣発足」の解説
先述のとおり、連立政権発足時の三党合意には普天間問題は明記されなかった。この時点では日米関係における喫緊の課題はインド洋における給油問題であり、移設問題は最重要課題とは捉えられていなかったのである。 しかし、政権発足後、徐々に移設問題の重要さが認識されていった。最も早く県外移設の困難さを指摘したのは防衛大臣の北澤俊美であり、9月17日にはその旨発言している。また外務大臣の岡田克也も当初は県外移設を模索していたが、アメリカ側との交渉を重ねるにつれ、次第に海外移設が困難であるとの意見に傾き、10月23日には「事実上、県外というのは選択肢として考えられない状況である」と言明した。外務・防衛両省は年内決着を図ることとし、アメリカ側と接触を行った。 さらに、2011年にウィキリークスに公開された米国側の公電 によれば、外務省の官僚は軒並み、鳩山政権の主張に同意しないように、その頭越しに米国側に働きかけていた。鳩山政権発足直後の9月18日、齋木昭隆アジア大洋州局長は、訪日したキャンベル国務次官補に向かって、日米対等の関係を訴える民主党政権をこのように批判した。「既に対等なのに何が念頭にあるのか分からない」「民主党は官僚を抑え、米国に挑戦する大胆な外交のイメージを打ち出す必要を感じたようだ」「愚か」「やがて彼らも学ぶだろう」。また、藪中三十二事務次官は、キャンベルに「国内には日本が対等に扱われていない、という感覚があり、民主党はそれを政治的に利用した」と言った。そして普天間基地問題については、高見沢将林・防衛政策局長が10月12日、キャンベル国務次官補らとの非公式の昼食の席で、「米側が早期に柔軟さを見せるべきではない」と述べた。また、日本政府の国連代表部で政務担当を務める参事官ら3人の外務官僚 は、米国在日大使館の政務担当者に対して「米政府は普天間移設問題では民主党政権に対して過度に妥協的であるべきではなく、合意済みのロードマップについて譲歩する意思があると誤解される危険を冒すべきでもない」と言った。 一方、国政与党でも社民・国民新両党は県内移設案に対する否定的方針を明らかにし、県内移設の際には連立離脱をほのめかすとともに、独自に海外移設を模索し始めた。岡田外相は嘉手納飛行場との統合案を模索したが、アメリカと地元側の両方から拒否された。鳩山首相は県外への移設を目指すとしながらも、「辺野古(案)も生きている」と、県内移設の可能性を排除しなかった。 沖縄県では失望と不満が高まり、11月には沖縄県政野党(民主・共産・社民・社大・そうぞう)主導による県内移設反対の県民大会が行われ、主催者発表で2万1000人(ただし、警察・情報関係者等への取材では8000~1万人以下)が参加した。11月27日、沖縄県議会与党の自民県連は年内に解決しない場合には県外移設に転じることを表明した。 11月13日に行われた日米首脳会談で鳩山首相はオバマ大統領に対し、" Trust me."(私を信じて)と述べ、2010年12月末までの移設問題の解決を約束し、「ハイレベル(閣僚級)のワーキンググループを設置」を提案した。しかし、翌11月14日、オバマ大統領が「(ワーキンググループは)日米合意を履行するためのもの」とする会見を行ったところ、鳩山首相は「日米合意が前提ならワーキンググループを作る必要がない」として、日米合意に拘束されないと発言した。12月に開催されたワーキンググループ会合で社民党・国民新党の反発を恐れた鳩山側が翌年6月の参院選後の解決を伝達し、具体的な移設先の交渉は行われなかった。これらの鳩山の対応に米国政府の失望感は強く、日本側が日米首脳会談の開催を申し入れても、米国側は「立ち話程度なら」という消極的な態度を示した。日米関係の悪化を懸念する岡田克也外務大臣は問題の年内解決を主張すると、鳩山由紀夫総理大臣は「何でそんなことを言うんだ」と不快感を漏らし、12月10日、官房長官の平野博文は住民を基地から遠い場所に移動させる案を示す など閣内不一致が表面化した。
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