鳩山政権時
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2009年の第45回衆議院議員総選挙で大勝し政権交代を実現した民主党鳩山由紀夫内閣は同選挙のマニフェストに掲げていた「アジア外交強化」「緊密対等な日米関係」を目指した。 51.緊密で対等な日米関係を築く 日本外交の基盤として緊密で対等な日米同盟関係をつくるため、主体的な外交戦略を構築した上で、米国と役割を分担しながら日本の責任を積極的に果たす。 米国との間で自由貿易協定(FTA)の交渉を促進し、貿易・投資の自由化を進める。その際、食の安全・安定供給、食料自給率の向上、国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない。 日米地位協定の改定を提起し、米軍再編や在日米軍基地のあり方についても見直しの方向で臨む。 52.東アジア共同体の構築をめざし、アジア外交を強化する 通商、金融、エネルギー、環境、災害救援、感染症対策等の分野において、アジア・太平洋地域の域内協力体制を確立する。 アジア・太平洋諸国をはじめとして、世界の国々との投資・労働や知的財産など広い分野を含む経済連携協定(EPA)、自由貿易協定(FTA)の交渉を積極的に推進する。その際、食の安全・安定供給、食料自給率の向上、国内農業・農村の振興などを損なうことは行わない。 出典:民主党の政権政策Manifesto2009 2009年7月27日 発行 ニューヨーク・タイムズは2009年8月27日付で鳩山由紀夫の論文「日本の新しい道」を掲載した。この論文が反米・東アジア重視・反市場主義であると欧米から反発を受けたことに対し、鳩山由紀夫は「反米的でないことは論文を見れば分かる」と発言した。このような事があったが、鳩山・オバマ両者は2009年9月の日米初会談で「バラク」「ユキオ」 とファーストネームで呼び合うほど親密である仲であった。 2009年11月13日、鳩山首相は東京でアメリカ大統領バラク・オバマと日米首脳会談を行った。そこでは在日米軍基地について話し合われ、鳩山首相はオバマに対し"Trust me"と発言したが、翌日首相は同行した記者団に対し「日米合意が前提でない」と前日の日米合意を無効にしたともとれる発言を行った。このことでオバマ大統領との対立が表面化した。2009年12月に開かれた第15回気候変動枠組条約締約国会議(COP15)ではオバマ大統領との公式会談は実現されなかった。 こうして日米関係が冷え込む中、2009年12月10日から13日、民主党小沢一郎幹事長は小沢訪中団を率いて北京を訪問した際、胡錦濤総書記らに正三角形論を伝えたとされる。 2010年4月13日、鳩山首相はワシントンで開かれた第1回核安全保障サミットに参加した。オバマ大統領は9カ国の首脳と公式会談を行ったが、日本とは夕食会席上で10分の非公式会談を行った。そこで、オバマ大統領は「昨年11月の日米首脳会談で"Trust me" と言ったが何も進んでない。きちんと最後まで実現できるのか」と強い疑念を表明した。ワシントン・ポストは4月14日付けで鳩山首相を「最大の敗者」「不運で愚か」と酷評した。 このように、鳩山由紀夫内閣は沖縄のアメリカ軍基地である普天間基地県外移設を目指したが移設先がなかなか決まらず、アメリカに対し不信感をつのらせ、日米関係が悪化していった。5月4日、鳩山首相は「学べば学ぶほど海兵隊の抑止力が分かった」と記者団に述べ、「最低でも県外移設」という約束を守るのが困難であることが明らかとなった。これも一つの要因となり、2010年6月、鳩山内閣は総辞職に追い込まれた。アメリカのジェフリー・ベーダー国家安全保障会議アジア上級部長は「話している人が権限を与えられているのかどうか、翌日に無効にされないかどうか、といった点が複雑で、混乱させる状況だった」と鳩山由紀夫内閣を評した。 詳細は「普天間基地移設問題#2009年の政権交代(日本)」を参照
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