高校1年とは? わかりやすく解説

高校1年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/02 05:04 UTC 版)

池江璃花子」の記事における「高校1年」の解説

2016年4月淑徳巣鴨高校入学するも、初登校する間もなくリオ五輪代表選考会を兼ねた第92回日本選手権挑むことになる。池江は4種目にエントリーしリレー含めた7種目での代表入り狙った大会通じて高校新7回、日本1回WJ1回活躍で、計4種目の代表権獲得。さらにその後5月から6月にかけて参加した大会で活躍将来性認められ日本競泳史上初めて7種目での五輪派遣決定した(→リオ五輪代表選考)。 5月ジャパンオープン100m自由形オーストラリア強豪キャンベル姉妹対決前年世界選手権銅メダリストで後に世界記録樹立するケイト・キャンベルには1秒半以上遅れたものの、世界選手権チャンピオンである妹のブロンテ・キャンベル(英語版)に競り勝ち5398高校記録樹立キャンベル姉妹オープン参加だったため優勝者となった。また50mバタフライ世界ジュニア新記録となる2605で、100mバタフライ5757それぞれ優勝飾った200m自由形五十嵐千尋に次ぐ2位だった。 6月欧州ツアー帰国からわずか3日後の東京都高校選手権疲労時差ボケが残る中、全日本選手権内田美希に0秒11更新され100m自由形日本記録を再び0秒19更新する5369日本新記録優勝代表選考直接関係ないものの日本選手権では届かなかった五輪派遣標準記録も0秒12上回った7月五輪最後公式戦として三重県選手権オープン参加出場すると、50mバタフライ加藤ゆかの持つ従来日本記録を0秒45大幅に更新2550日本新記録を樹立した。これにより4種目の日本記録保持となった8月インターハイは、池江、長谷川涼香今井月持田早智高校生五輪代表の「リオ五輪直後大会という事もあり立ち見が出るほど注目集まった。池江はブラジルから帰国後、羽田空港から直接開催地の広島に向かうという強行軍の中、50m自由形100m自由形大会新を樹立し優勝日本記録保持者の貫禄見せつけた。大会3日目400mメドレーリレーは、池江、長谷川の代表2人を擁する淑徳巣鴨高校と、今井擁する豊川高校一騎討ちとなり、2泳の今井だけで6秒近いリード作った豊川が、淑徳巣鴨の3泳長谷川アンカー池江の猛追振り切り優勝淑徳巣鴨は1秒差の準優勝となった最終日、3泳を務めた800mリレー決勝ではトップと6秒差の6位でバトン受け取ると、決勝出場者中ただひとり2分を切る1分57秒台の泳ぎで5人をごぼう抜きにし、さらに1秒以上のリード作った状態でアンカー長谷川繋いだチーム大会記録を6秒以上更新して優勝飾った9月岩手県開催され国体出場前月だけで計30レースという超過日程の中、「シーズン最後大会で日本新を」と挑んだ50m自由形決勝において自らの日本記録を0秒07更新した10月東京行われたワールドカップ2016東京大会短水路)の100m個人メドレーにおいて、渡部香生子保持していた従来記録を1秒以上縮め5824短水路日本新記録を樹立し、5種目日本記録保持となった11月東京開催され第10回アジア水泳選手権100m自由形決勝自身日本記録を0秒01更新する5368マークした同大会では50m自由形、50m、100mバタフライ、及び400mメドレーリレー優勝し、特に第3泳を務めたメドレーリレーでは引き継ぎながら100mバタフライ日本記録を0秒66上回るタイム泳ぎ日本優勝大きく貢献した12月、カナダ・ウィンザーで行われた第13回世界短水路選手権出場。50m及び100mバタフライ銅メダル獲得する同時に加藤ゆか保持していた両種目日本記録更新して7種目日本記録保持となった2017年1月東京都水泳選手200m自由形決勝において五十嵐千尋日本記録を0秒85更新し、8種目日本記録保持となった2月18日、コナミ・オープンの50m自由形決勝において、苦手としていたノーブレス初め取り入れ自身日本記録を0秒19更新する2448優勝した3月フランス遠征しFFNゴールデンツアーに参戦200m自由形ではカティンカ・ホッスー終始リードして勝利するなど、出場した5種目4種目で優勝果たした。また50mバタフライ決勝では自由形続いて自身初めノーブレス泳法達成した3月29日、高校1年最後競技会となるJOC春季大会出場内田美希保持していた短水路50m自由形日本記録を0秒17更新する2405泳ぎ、9種目日本記録保持となった

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高校1年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/08 03:38 UTC 版)

阿武教子」の記事における「高校1年」の解説

柳川高校では全日本女子代表チームコーチ務めていた監督河野満男指導の下で、さらに力を付けていった。父親監視されない環境だったこともあり、のびのびとした気持ちになりながらも、真剣に柔道向き合えるようになっていったという。入学後すぐに出場した全日本選手権では、準々決勝大阪府警佐藤昭子判定敗れるもののベスト8に入る健闘見せるが、体重別では初戦山形県教育委員会坂上洋子判定敗れた7月世界ジュニア代表選考会では、高校チャンピオンである東海大第一高校3年石垣晶代に一本勝ちしたのをはじめ、トーナメント戦全勝して代表に選出された。さらに金鷲旗ではチームメイト3年佐野奈津子2年佐藤和とともに活躍して柳川高校3連覇大い貢献した。続くインターハイでも大活躍して柳川初優勝原動力となった8月のポーランドジュニア国際では決勝石垣破ったのをはじめ、オール一本勝ち優勝した10月にはブエノスアイレス開催され世界ジュニア出場し準決勝までオール一本勝ち勝ち進むが、決勝では中国袁華パワーでおされて払腰で有効を取られ2位終わった。しかし2週間後の強化選手選考会では、学生チャンピオンである湊川女子短大2年浅田ゆかり内股一本勝ち坂上並んで国内のこの階級代表する選手であるコマツ鈴木香判定破って決勝進出して決勝でも国士舘大学3年五十嵐準子から背負落一本勝ちして優勝果たして、福岡国際の代表に選出された。初出場となった福岡国際の72kg超級では初戦韓国文祉允判定敗れるが、無差別では準決勝中国喬艶敏判定敗れたものの、3位決定戦五十嵐袈裟固一本勝ちして3位確保した。そしてそのすぐ後には中国遠征参加した1993年1月ミキハウス大阪国女子柔道クラブカップトーナメントでは柳川高校一員として出場するが、決勝ミキハウス田辺陽子崩袈裟固一本負けして、チーム2位となった。続く広島国際女子柔道選手権大会にも出場するが、準決勝韓国孫賢美敗れて3位終わった2月にはフランス国際に出場するが、準決勝オランダモニク・ファンデリー判定敗れるものの、3位決定戦鈴木優勢勝ちして3位となった3月には高校選手権出場して準決勝阿蘇高校2年二宮美穂を有効、決勝夙川学院高校2年山下まゆみ効果下して優勝果たした

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高校1年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 13:55 UTC 版)

中村美里」の記事における「高校1年」の解説

2005年には渋谷教育学園渋谷高等学校へ進むと、自宅からの通いとなったまた、三井住友海上柔道部でも練習取り組むこととなった7月金鷲旗では48kg級選手ながらチーム決勝進出貢献したが、埼玉栄高校戦では引き分けるチーム敗れて2位とどまった8月インターハイ個人戦では決勝夙川学院高校3年小林咲里亜に判定敗れた団体戦には出場しなかったがチーム3位入った9月全日本ジュニアでは決勝三井住友海上山岸絵美効果敗れて2位だった。11月のアジアジュニアでは2年ぶり2度目優勝を飾ると、その僅か5日後に出場した講道館杯では決勝まで進むと、トヨタ自動車谷亮子に次ぐ実力者だったミキハウス北田佳世GS入ってから2分過ぎに大内刈効果破り高校1年生にしてシニア全国大会制した。さらに12月には福岡国際女子柔道2回戦世界チャンピオンであるキューバヤネト・ベルモイGS入ってから指導1、決勝では北田袖釣込腰技ありそれぞれ破って、今大会15歳優勝した谷亮子に次ぐ16歳での覇者となる快挙達成一躍ポスト谷」の有力候補として注目浴びた2006年2月にはフランス国際に派遣されると、準決勝地元フランスフレデリク・ジョシネ効果敗れるも、3位決定戦でベルモイを技あり破って3位となった3月全国高校選手権団体戦では決勝三田聖高校戦を始めとして初戦から全勝するものの、チーム敗れて2位とどまった

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高校1年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/01 06:24 UTC 版)

舟久保遥香」の記事における「高校1年」の解説

富士学苑高校に進むと、1年4月には全日本カデの決勝奈良育英高校2年村井惟衣に小外刈の有効で敗れて2位だった。 7月金鷲旗では4回戦横須賀学院高校対戦すると、2階上である70kg級の大川優希敗れた8月インターハイ個人戦では準々決勝帝京高校3年西尾直子大外刈敗れて5位だった。団体戦では3回戦大成高校対戦すると、3階上である78kg級の鈴木伊織指導2で敗れた10月国体少年女子の部では準々決勝大阪府チーム対戦すると、63kg級の米澤夏帆引き分けるが、3年渡辺聖未敗れてチームは5位にとどまった12月のアジアカデでは初戦指導3勝ち以外は全て得意の寝技一本勝ちして優勝飾った2015年3月全国高校選手権では決勝まで進むも、藤枝心高2年谷川美歩に開始早々横四方固敗れて2位だった。団体戦では2回戦北海高校対戦すると、2階上である70kg級の杉本梨々花指導2で破るがチーム敗れた

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高校1年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:42 UTC 版)

阿部詩」の記事における「高校1年」の解説

2016年には夙川学院高校進学すると、1年時には4月全日本カデ決勝大成高校1年河端風を指導2で破って優勝飾った8月インターハイでは初戦広島皆実高校3年島谷真央対戦すると、河津掛仕掛けたみなされ反則負け喫した。この敗戦には非常にショック受けて今までやってきたことが全て間違いだったような気分にまで陥ったものの、兄の一二三叱咤激励されたことで立ち直ることができた。これを契機に心の持ちようが劇的に変化すると、驕り高ぶった気持ち消えて県予選レベルから大きな大会に至るまでぶれない気持ち持続させることができるようになったという。 9月全日本ジュニアでは準決勝大成高校3年武田亮子大外返敗れて3位だった。 11月講道館杯では準決勝了徳寺学園職員角田夏実腕挫十字固敗れるも、高校1年ながら3位入賞果たした12月には初のシニア国際大会であるグランドスラム・東京出場すると、史上最年少16歳141日で決勝まで進むが、角田腕挫十字固敗れて優勝はならなかった。なお、兄の一二三優勝したことにより、兄妹でのメダル獲得となった2017年2月グランプリ・デュッセルドルフでは準々決勝了徳寺学園職員志々目愛内股破ったのをはじめ全試合一本勝ちして決勝まで進むと、フランスアマンディーヌ・ブシャール内股技あり破って優勝飾りIJFワールド柔道ツアー史上最年少16歳225日で制することとなったこの際全日本女子代表監督増地克之次のように語った。「プレッシャーがかかる場面で力を発揮できるスター性を感じた」「課題ありますけど何か周り引き付けるものを持っている期待込めて谷亮子選手のようになってもらいたい」。 3月全国高校選手権個人戦では準々決勝までの3試合寝技一本勝ちすると、準決勝指導2による勝利だったものの、決勝では新田高校2年児玉風香開始早々袖釣込腰破って優勝した翌日団体戦では決勝大成高校戦で反則勝ち収めるなど全試合勝利してチーム優勝導いて最優秀選手選出された。これにより個人戦との2冠を達成した寝技師有名な舟久保遥香のいる富士学苑高校寝技修業積んだ成果も今大会で現れた。

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高校1年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 07:32 UTC 版)

素根輝」の記事における「高校1年」の解説

2016年に南筑高校へ進学すると、1年時には4月全日本カデで2連覇達成した7月金鷲旗ではチーム準決勝進出原動力となるも、敬愛高校新森涼指導3で敗れて3位だった。9月全日本ジュニアでは決勝まで進むと、今大会インターハイ福岡予選敗れていた高校チャンピオンである敬愛高校3年児玉ひかる指導2で破って高校1年生ながら優勝飾った11月講道館杯では高校1年ながら決勝まで進むが、東海大学2年朝比奈沙羅に有効で敗れて2位だった。12月グランドスラム・東京では今大会の52kg級で2位になった親友夙川学院高校1年の阿部詩16歳141日に次ぐ16歳148日で決勝まで進んで朝比奈対戦するが、指導1を先取するも追いつかれると、GS入ってから指導2を取られ優勝はならなかった。2017年2月グランプリ・デュッセルドルフでは準々決勝ウクライナイリーナ・キンゼルスカ崩袈裟固敗れるも、その後敗者復活戦を勝ち上がって3位になった3月全日本選手権九州予選では準決勝児玉敗れて本戦への出場果たせなかった。続く全国高校選手権個人戦では決勝大成高校2年和田梨乃子を合技で破るなど、準決勝指導2勝ち以外は全て一本勝ちして優勝飾った団体戦では準決勝大成高校戦で勝利するチーム敗れて3位だった。

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高校1年

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:42 UTC 版)

阿部一二三」の記事における「高校1年」の解説

小学生の時から指導受けていた神港学園神港高校進学すると、66kg級に階級をあげた。 入学当初全国レベル強豪校と言えない神港高校行ったことで潰れるとの風評立てられた。しかし、全ての練習阿部中心に組まれる阿部シフトの下で順調に力を付けて行くことになった1年時には全日本カデで優勝果たして、17歳下の世界一を決め世界カデに出場するが、決勝グルジアのコバ・ムチェドリシビリに技あり敗れた全国高校選手権には66kg級が設置されていないことから1階上の73kg級に出場すると、決勝バルセロナオリンピック71kg級金メダリスト古賀稔彦長男である大成高校1年古賀颯人に有効を先取されるも、その直後小外刈逆転勝ちして優勝飾った

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