高架化工事について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 11:26 UTC 版)
地上駅時代の園田駅は、ホームの構成は現在と全く同じで、園田競馬の観客用臨時ホームも有していた。また改札とホームを結ぶ為に地下道が設置されたほか、構内の地下道と平行して南北を結ぶ自由通路があり、線路下付近には双方の地下道間を結ぶ改札口も存在した。 ホーム延長工事など、多少の改装は行われたものの、開業当時とほぼ同じ状態を保っていた園田駅ではあったが、兵庫県と尼崎市が計画していた、駅西方を交差する県道園田橋線との立体交差化の為、園田駅周辺の線路および駅を高架化する事となった。 工事は1974年3月に着工され、従来の線路やホームは撤去されて、単式のホーム2線と通過線2線からなる仮設のホームが設置された。地上駅時代の園田駅は、駅南側に植え込みがあるなど比較的広い構内ではあったが、下り仮線のホーム部分に際しては、阪急の所有する敷地だけでは用地が不足したため、南側に面した道路の一部を尼崎市より借用してホームを建設した。また上り仮線のホームは下り仮通過線の北側に設置され、仮設ホームはいずれも通過線の南側に設置される形となった。地下道には、仮設ホームに通じる階段が設置され、一方元のホームへの階段は、セメントにより埋められた。 梅田側には留置線が1線存在することは後述するが、地上駅時代は、猪名川鉄橋脇までの複線の長い留置線で、数編成分が収容可能だった。これは、猪名川付近の経路を変更した際に、旧線の北側に、新たに橋梁架設、線路かさ上げ工事を行ったために廃線となった本線部分を流用したもので、収容能力が限界に達していた当時の西宮車庫を補う形で使用されていたが、車庫の拡張工事が完成して以降は使用されなくなり、高架工事の際には仮設線路の用地として活用された。また、三宮側の上り線に接する形でもう一本留置線があったが、こちらも高架化工事用地とされ撤去された。 高架線へは、まず上りホームと臨時ホームが1976年10月に完成して切り替えが行われ、上り通過線と仮設ホームが撤去され、元のホーム横の線路が通過線に変更された。続く1977年8月には上り通過線が高架化されて上り仮線は撤去された。一方、下りホームは1978年10月29日に完成して切り替えられ、この時駅舎も地上の仮駅舎から高架線2階に移設された。最後に残っていた下り通過線は1979年6月30日の終電後に高架線に切り替えられ、引き続き梅田寄南側の留置線建設と駅1階の商業施設や周辺道路の整備を実施し、1980年4月5日に全ての工事が完了して専門店街の『園田阪急プラザ』が営業を開始した。 高架下の区画には、『園田阪急プラザ』の他に、レンタサイクルや駐輪場、貸し倉庫などがある。『園田阪急プラザ』は2006年に改装を行い、看板が一新されたほか、1階にスーパーマーケットのKOHYOなどが出店した(主要な店舗は駅周辺を参照のこと)。
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