雌伏の時に結実した京極派和歌とは? わかりやすく解説

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雌伏の時に結実した京極派和歌

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/22 10:09 UTC 版)

玉葉和歌集」の記事における「雌伏の時に結実した京極派和歌」の解説

永仁6年1298年)に京極為兼佐渡流刑になり、伏見天皇譲位後伏見天皇即位、そして大覚寺統邦治親王皇太子となり、大覚寺統政権交代する流れとなったこれまで順調であった持明院統にとって試練の時代始まったが、和歌革新主導していた為兼の不在にも関わらず伏見上皇永福門院中心とした宮廷グループ頻繁に歌合催し、為兼の主張した「心の絶対的尊重」、「言葉の完全な自由化」という理念に基づく和歌完成目指した。佐渡流刑中の為兼も、京都行われた持明院統宮廷グループ歌合記録送付を受け、批評行っていたと考えられている。伏見上皇永福門院中心とした持明院統宮廷グループは、上皇女院以外は少数廷臣女房のみで構成され閉鎖的なグループであり、不遇の時期閉鎖的な少人数間の切磋琢磨によって京極派歌風次第磨かれていくことになる。 正安3年1301年)には、後伏見天皇譲位後二条天皇践祚により、大覚寺統後宇多上皇治天の君となったその後持明院統大覚寺統後二条天皇皇太子を誰にするかで争い双方とも鎌倉幕府激しく働きかけたが、幕府持明院統後伏見天皇の弟である富仁親王選び皇太子となった政権失った伏見上皇らは持明院統の人たちは、富仁親王即位政権の座への復帰目指すことになる。 乾元2年1303年)閏4月鎌倉幕府赦免により、京極為兼流刑地佐渡から京へ戻った。為兼の帰京直後乾元2年4月29日1303年6月15日)には、伏見上皇後伏見上皇永福門院らが参加し、為兼を和歌師範とした歌合催された。この歌合で、伏見上皇永福門院らは実に見事な和歌詠んでおり、自らの目で見、感じたことが心に響く中で生まれた言葉で歌を詠むという京極派和歌は、突如として見事に開いた内容的にはむしろ師範である為兼の和歌が遅れをとっており、進境著し同志たちの姿を目の当たりにした為兼自身も、更に和歌精進していくことになる。乾元2年4月29日歌合の後、為兼は持明院統和歌師範として精力的に活動していく。 ところで大覚寺統治世となった直後正安3年1301年)、二条為世後宇多上皇から勅撰和歌集撰集下命受けていた。この和歌集は『新後撰和歌集』と名づけられ、京極為兼帰京後嘉元元年12月19日1304年1月26日)に奏覧された。奏覧前日、為兼は後宇多上皇御所参上し上皇側近通じて世の撰集について、能力がないのにも関わらず撰者父子の歌を多く撰びすぎであり、和歌奥義極めた自分の歌が少なすぎるとの抗議上皇伝えるよう依頼した当時歌壇実情から見て新後撰和歌集の歌数は二条為世京極為兼ともに妥当な線であった考えられるが、為兼としては自己の立場強くアピールすることが必要であった考えられる京極為兼帰京後持明院統宮廷京極派和歌高揚期を迎えた和歌師範ありながら他の京極派メンバーよりも実作で遅れを取った感があった為兼も、嘉元年間1303年 - 1305年)には見事な和歌詠むようになった。こうして京極派和歌はようやく確立期迎えることができた。そのような中、伏見上皇後二条天皇譲位と自らの皇子である皇太子富仁親王即位目指し鎌倉幕府への働きかけ強めた上皇股肱の臣であった為兼は、幕府への働きかけ中核担っていたと推測されている。またこの間京極為兼挫折余儀なくされた永仁勅撰の議のリベンジを果たすべく、撰集作業進行させていたと考えられている。そして徳治3年8月25日1308年9月10日)、後二条天皇が崩じ、翌日皇太子富仁親王践祚した。伏見上皇治天の君の座に復帰して待望持明院統の世となり、今度こそ勅撰和歌集撰集成し遂げようとする中、為兼は和歌宗家である二条為世激突することになる。

※この「雌伏の時に結実した京極派和歌」の解説は、「玉葉和歌集」の解説の一部です。
「雌伏の時に結実した京極派和歌」を含む「玉葉和歌集」の記事については、「玉葉和歌集」の概要を参照ください。

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