関西区域における電力国家管理の影響
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)
「東邦電力」の記事における「関西区域における電力国家管理の影響」の解説
1930年、東邦電力は供給区域や設備の整理を目的に、四日市・奈良両支店区域を合同電気(旧・三重合同電気)へ、豊橋営業所区域を中部電力(旧・岡崎電灯)へと譲渡していた。譲渡対象には発電所も含まれる(合同電気に対し13か所、中部電力に対し4か所を譲渡)。1937年になり、東邦電力ではこの2社を相次いで合併する。その結果、合同電気から水力31か所・火力9か所、中部電力から水力19か所・火力1か所の発電所をそれぞれ引き継いだ。合同電気の発電所には和歌山県・兵庫県(淡路島)・徳島県のものが含まれる。また1937年から1941年にかけて小規模事業者の統合を進める中で、多数の小規模発電所を取得している。 合同電気・中部電力合併後の1937年12月末時点における関西区域の発電力は、本州地域で水力63か所168,081.7 kW・火力11か所179,900 kW、徳島区域で水力6か所8,202 kW・火力2か所11,000 kW、淡路区域で火力1か所3,500kWであった。また他事業者からの購入電力については、本州地域では10社から合計214,984 kW、徳島区域では3事業者から合計7,200 kWをそれぞれ受電していた(いずれも融通電力を計算に含まず)。翌1938年、前述の飛騨川下原発電所(出力22,000 kW)のほか、旧中部電力時代から工事が進められていた静岡県・気田川の豊岡発電所(出力8,130 kW)が運転を開始する。この1938年度に関西区域における水力発電力は20万kWを超え、自社火力と購入電力を加えた発受電の合計も60万kWを突破して会社成立以来の最大値を記録した。 こうして各地に抱えた発電所のうち、一部は下記#電力国家管理と解散で詳述する電力国家管理の対象となり、解散を待たずに東邦電力の手を離れた。1939年4月1日付の国策会社日本発送電設立に際し同社への出資対象となったためであり、関西区域では名古屋火力発電所が該当する。また日本発送電設立と同時に、木曽川・飛騨川の八百津・八百津放水口・下原・金山・七宗・名倉・上麻生・川辺の8発電所と庄川水系の平瀬発電所、徳島県の祖谷発電所が同社の管理発電所、すなわち日本発送電が運転を指令し同社へ全出力を送電する発電所となっている。名古屋火力発電所が自社発電所ではなくなったものの、1939年12月末時点における東邦電力関西区域全体の発電力は水力75か所75,331 kW(他に日本発送電の管理発電所10か所131,730 kW)・火力6か所57,550kWを数え、購入電力も13事業者から計354,092 kW(融通電力を除外。日本発送電からの受電は299,800 kW)に上った。 その後1940年(昭和15年)6月に、岐阜県・板取川にて電力国家管理実施前より工事中であった洞戸発電所(出力10,600 kW)が完成した。続いて1941年から1943年にかけて、旧天竜川水力電気の計画を下敷きとする天竜川開発に着手する計画であったが、東邦電力では事業着手に至らなかった。
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