祖谷発電所
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三重合同電気が合併した徳島水力電気は、那賀川において電源開発を手がけ桜谷第一・第二発電所(出力計1,900kW)を建設していたが、1922年に祖谷川水力電気を合併し、徳島県山間部、吉野川水系祖谷川での電源開発計画を引き継いだ。この祖谷発電所は1923年3月に竣工。逓信省の資料によると、1926年時点における発電所出力は912kWであった。 祖谷川開発計画は本来、祖谷川と支流谷道川に計4か所の発電所を建設するというものであった。その第一期工事としてまず祖谷発電所が完成したのであるが、その後建設費の関係上計画が変更され、祖谷川・谷道川およびその支渓流の流水を1か所に集めて1つの発電所として発電することとなった。この祖谷発電所第二期工事は土木工事と発電所2台のうち1台分の工事が1926年11月末までに完成し、12月25日付で使用認可を取得。残工事も翌1927年3月に完了した。増設後の出力は5,380kWで、三菱造船製ペルトン水車・1,250キロボルトアンペア (kVA) 発電機1組と、エッシャーウイス製フランシス水車・日立製作所製4,375kVA発電機2組を備えた。この増設工事完成を機に、余剰電力を利用して鴨島町(現・吉野川市)と徳島市を結ぶ電気鉄道を敷設する計画が浮上したが、実現していない。 徳島県下における自社建設水力発電所はこの祖谷発電所のみだが、他社水力発電所の電力も順次受電した。まず1925年11月、美馬水力電気(美馬郡端山村・吉良発電所を運転)からの受電を開始。次いで1928年11月に四国電力(口山村・第一発電所を運転)からの受電を始め、1931年(昭和6年)12月より貞光電力(一宇村・一宇発電所を運転)からも受電した。1936年末時点では3社からの受電電力は計7,200キロワットであり、自社水力発電所6か所の総出力8,202kWに迫る規模であった。なお3社のうち四国電力・貞光電力は自社の傍系会社にあたる。
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