電源拡充と供給力不足問題
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/17 16:47 UTC 版)
「徳島水力電気」の記事における「電源拡充と供給力不足問題」の解説
川田水力電気に次いで1919年(大正8年)8月4日、徳島水力電気は神通電力株式会社を合併した。同社は徳島水力電気に対する電力供給を目的とする会社で、1916年4月20日資本金20万円で徳島市に設立。1918年8月に名西郡上分上山村(現・神山町)にて出力400キロワットの神通発電所を完成させていた。神通電力合併に伴うは増資20万円。さらに直後の同年10月に352万円の増資を決議しており、会社の資本金は600万円となっている。 供給面では1920年(大正9年)8月、需要増加に伴い勝浦郡小松島町(現・小松島市)に出力1,000キロワットの補給用火力発電所(小松島発電所)を建設。さらに1922年(大正11年)7月には小松島町での紡績工場開業にあわせて出力1,200キロワットの桜谷第二発電所を建設している。桜谷第二発電所は1910年建設の那賀川桜谷第一発電所と同じ地点に増設されたものである。こうした相次ぐ発電所の新増設にかかわらず、徳島水力電気は供給力不足に陥っており電灯の明るさが規定よりも暗く、県当局や逓信省から改善命令が出るほどであった。 1922年12月16日、徳島水力電気は祖谷川水力電気株式会社を合併した。合併に伴う増資は400万円。同社は、祖谷山(いややま)で林業を営む松村覚次が高知財界の中心人物宇田友四郎(社長に就任)を動かして設立した、吉野川水系祖谷川での水力開発を目的とする電力会社である。徳島水力電気は開業前の段階で合併しており、この合併は供給力不足を解消するものと期待された。合併翌年の1923年3月、美馬郡東祖谷山村(現・三好市)に祖谷発電所が竣工をみた。
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