下原発電所とは? わかりやすく解説

下原発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/14 09:28 UTC 版)

東邦電力」の記事における「下原発電所」の解説

1920年3月に旧岐阜興業水利権得た金山発電所」の計画2分割したうちの上流側を下原発電所といい、東邦電力建設した飛騨川発電所では最上流部に位置する1936年12月着工され1938年昭和13年12月25日竣工した。 下原発電所の所在地岐阜県益田郡下原村大字中切現・下呂市金山町中切)。取水飛騨川馬瀬川との合流点の上流側で「益田川」とも)と支流馬瀬川の2河川からで、取水主体となる益田川取水堰堤による調整池設ける。主要設備電業社フランシス水車芝浦製作所発電機各2台で、発電所出力22,000kWである。送電線下流金山発電所とを繋ぐ77kV線が新設された。

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下原発電所

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/23 02:37 UTC 版)

下原ダム」の記事における「下原発電所」の解説

下原ダム付設された下原発電所は当初の計画では1万6,500キロワット発電を行う計画であったその後1936年昭和11年12月10日には1万9,451キロワット出力増強させる計画変更、さらに完成直前1938年11月17日には現在の2万2,000キロワットによる出力となり、現在に至っている。ダム馬瀬川堰堤取水されたそれぞれ2,282メートル、3,049メートル水圧鉄管通して約2キロメートル下流発電所送られ電力生み出す使用する水量割合飛騨川分と馬瀬川分を5対1の比で取水する。鉄管国道41号JR高山本線の下を潜るため、これに対応すべく橋梁建設した中部電力その後朝日ダム皮切りに飛騨川流域一貫開発計画による大規模水力発電計画進めていったが、下原ダムはこの計画によって大幅な電力発生量減少余儀無くされた。1976年昭和51年馬瀬川岩屋ダム馬瀬川第二ダム完成し揚水発電馬瀬川第一発電所運転開始、二年後の1978年昭和53年)には中呂ちゅうろ発電所運転開始して馬瀬川からの取水量減少したことにより、完成当時年間発生電力量が約1億3,076キロワット時だったのが、両発電所運用開始に伴い年間1,800キロワット時と、約9分の1近く減少したのである。だが現在中小規模水力発電開発経済産業省によって推奨されている中、下原ダムと下原発電所の役割飛騨川からの電力供給において重要な役割担っていることには変わりない。

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