下原刑場
下原刑場
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/24 17:52 UTC 版)
下原刑場も参照 先の盗賊団の頭目・真刀徳次郎は寛政元年(1789年)の4月、一族郎党とともに火付盗賊改方・長谷川宣以に捕らえられ、処刑された。奇しくもその場は、飯盛女・千鳥が身を投げた高台橋の脇にある「下原刑場(しもはら けいじょう)」であったという。なお、その名「下原」は一帯が原っぱであったことにちなむものである。 この刑場は、明治元年(1868年)の明治天皇の氷川神社行幸の際、地元から嘆願書が出されて廃止されている。現在のさいたま新都心駅の東側一帯である。
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