開発経緯・運用
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/11 22:25 UTC 版)
「ブラックバーン ボウタ」の記事における「開発経緯・運用」の解説
1935年にイギリス空軍省から出された沿岸航空隊向けの偵察爆撃機の仕様には、ブラックバーン社とブリストル社が応募した。この仕様に従ってブラックバーン社が開発したのがボウタである(ブリストル社において開発された機体はボーフォートとなった)。空軍省の要求としては、ブリストル・パーシューズ星型 850hp エンジンを装備した3座双発機で、雷撃の他に戦術偵察機としても使用できることとなっていた。しかし、途中から仕様が3座から4座に変更になり機体を大型化する必要が出たため、仕様どおりのパーシューズエンジンでは出力不足であることが明白となった。ブラックバーン社では、エンジンをより強力なブリストル・トーラスに変更することを要望したが、ボウタに提供する余裕がないという理由で却下され結局パーシューズエンジンのまま開発されることになった。 1936年末にはまだ開発中にも関わらず442機の量産機の発注が行われ、1938年末には原型機が完成、初飛行した。そして、1939年7月には量産第1号機が完成した。量産機では、エンジンはブリストル・パシューズ10 880hp となり若干パワーアップされている。機体はアスペクト比の小さな主翼の高翼双発で、短い機首は片側(機体を上面から見て右側)のみ爆撃手用に窓が設けられていた。また、操縦席後方の胴体の両側に、偵察用に張り出した窓が設けられていた。尾翼は、機体の規模に比べて背の高い物が装備されている。武装は機体の前部に固定機銃を持つ他に胴体後上部に銃塔を備え、胴体内の爆弾倉には魚雷若しくは爆弾を格納することができた。 しかし、量産機においてパワーアップしたにも関わらずエンジンは馬力不足で、雷撃・爆撃に用いるには動きが鈍重だった。また、機体設計のまずさにより飛行時の縦安定性が決定的に不足していた。加えて、旋回銃塔を操作すると気流の乱れにより横揺れを起こすなど、ボウタは実用機としては欠点が多過ぎた。 ボウタは1940年の5月から12月の間に1部隊が北海上空の哨戒飛行に使用したが非常に評判が悪く、すぐに内地の訓練飛行隊に回されることになった。訓練部隊では航法や射撃訓練機として使用された他、連絡機としても少数が使われた。しかし、ここでも劣悪な操縦性が嫌われ評判は芳しくなかった。結局、多くの機体は訓練部隊でも飛行することなく廃棄処分されたと言われている。訓練部隊においては1944年頃まで使用された。 総生産機数は580機で、約670機が生産キャンセルされている。
※この「開発経緯・運用」の解説は、「ブラックバーン ボウタ」の解説の一部です。
「開発経緯・運用」を含む「ブラックバーン ボウタ」の記事については、「ブラックバーン ボウタ」の概要を参照ください。
- 開発経緯運用のページへのリンク