長岡大和
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1958年(昭和33年)10月18日に 新潟県では太平洋戦争後初の百貨店として開業した店舗である。 当店開業より前の1954年(昭和29年)4月25日にイチムラ洋品店が大手通に移転してイチムラ百貨店として開業していたが、百貨店審議会で百貨店法による営業を認可を受けて法律上も百貨店となったのが1963年(昭和38年)6月15日のため、新潟県史では第2次世界大戦後初の百貨店 となっている。 長らく大手通がある川東地区が街の中心市街地であったが、1989年(平成元年)10月27日に中心市街地から信濃川を挟んだ川西地区に開店したジャスコ を皮切りに、モータリゼーション時代のニーズに合った無料駐車場を併設した郊外型ショッピングセンターの進出により顧客が流出。これに伴い1980年(昭和55年)に14.7万人あった中心市街地の人通りが2003年(平成15年)に5.1万人に減少した。 1991年には完成から30年以上が経過し老朽化していた建物を大規模改修したが、大和を含めた競合他店が持つ集客力は急速に陰りを見せた。1995年の長崎屋(長岡駅前店)閉店 以降、2001年までに当店とイトーヨーカドー丸大長岡店以外の大手口側における商業施設が全て消滅してしまった。 1998年(平成10年)には周辺敷地の1.2haを対象とした「大手通表町地区市街地再開発準備組合」を大和も参画し発足させた上で再開発構想が進められた。しかし、2005年(平成17年)に大和が「新たな投資は難しい」と表明したため、この再開発構想は頓挫。店舗は1990年代に大規模改修されているものの、1958年の開業時から半世紀以上に渡って使用されているため老朽化が著しいことなどから補修による赤字幅が増大していて今後も回復は見込めないとして、2010年(平成22年)4月25日に閉店となった。 なお、閉店直前の2009年(平成21年)11月30日には長岡市が店舗跡周辺への風俗店などの進出を防止するために用途を細かく制限できる「地区計画」の策定を行って用途制限強化を行う方針を表明して再開発計画への悪影響を防止する取り組みを行っていた。 なお、店舗跡の土地・建物の売却は大和側が長岡市に持ちかけたものの、事業目的を決めずに購入できないとして保留とされ、閉店後の賑わい維持のために長岡市が店舗跡を借りて地元の大手通商店街振興組合がショーウィンドーや長岡の地場産品を販売するアンテナショップ「カーネーションプラザ」を1階で開くこととなった。2014年(平成26年)7月に、建物は長岡市に無償譲渡、土地は都市再生機構に有償譲渡する方針が決まり、2018年3月6日まで営業が行われた。 2017年(平成29年)には、周辺地域を含め、図書館や産業振興拠点、商業施設などが入る大型ビルを3棟整備する再開発構想がまとめられている。 ※カーネーションプラザは2018年3月をもって閉鎖され、同年内にNaDecBase(ナデックベース)と呼ばれる教育施設にリニューアルされた。 施設は周辺の再開発までの間1Fのみ長岡市内の複数の大学と高等専門学校のキャンパスとして暫定的に利用されている。
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