長岡大和とは? わかりやすく解説

長岡大和

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/16 02:56 UTC 版)

大和 (百貨店)」の記事における「長岡大和」の解説

1958年昭和33年10月18日新潟県では太平洋戦争後初の百貨店として開業した店舗である。 当店開業より前の1954年昭和29年4月25日イチムラ洋品店大手通移転してイチムラ百貨店として開業していたが、百貨店審議会百貨店法による営業認可受けて法律上百貨店となったのが1963年昭和38年6月15日のため、新潟県史では第2次世界大戦後初の百貨店 となっている。 長らく大手通がある川東地区が街の中心市街地であったが、1989年平成元年10月27日中心市街地から信濃川挟んだ川西地区開店したジャスコ皮切りにモータリゼーション時代ニーズ合った無料駐車場併設した郊外型ショッピングセンター進出により顧客流出これに伴い1980年昭和55年)に14.7万人あった中心市街地人通り2003年平成15年)に5.1万人減少した1991年には完成から30年以上が経過し老朽化していた建物大規模改修したが、大和含めた競合他店が持つ集客力急速に陰り見せた1995年長崎屋長岡駅前店)閉店 以降2001年まで当店イトーヨーカドー丸大長岡店以外の大手口側における商業施設全て消滅してしまった。 1998年平成10年)には周辺敷地の1.2haを対象とした「大手通表町地区市街地再開発準備組合」を大和参画発足させた上で再開発構想進められた。しかし、2005年平成17年)に大和が「新たな投資難しい」と表明したため、この再開発構想頓挫店舗1990年代大規模改修されているものの、1958年開業時から半世紀以上に渡って使用されているため老朽化著しいことなどから補修による赤字幅が増大していて今後回復見込めいとして2010年平成22年4月25日閉店となった。 なお、閉店直前2009年平成21年11月30日には長岡市店舗跡周辺への風俗店などの進出防止するために用途細かく制限できる地区計画」の策定行って用途制限強化を行う方針表明して再開発計画への悪影響防止する取り組み行っていた。 なお、店舗跡土地・建物売却大和側が長岡市持ちけたものの、事業目的決めず購入できないとして保留とされ、閉店後の賑わい維持のために長岡市店舗跡借りて地元大手通商店街振興組合ショーウィンドー長岡地場産品を販売するアンテナショップ「カーネーションプラザ」を1階で開くこととなった2014年平成26年7月に、建物長岡市無償譲渡土地都市再生機構有償譲渡する方針決まり2018年3月6日まで営業が行われた。 2017年平成29年)には、周辺地域含め図書館産業振興拠点商業施設などが入る大型ビル3棟整備する再開発構想がまとめられている。 ※カーネーションプラザは2018年3月をもって閉鎖され同年内にNaDecBase(ナデックベース)と呼ばれる教育施設リニューアルされた。 施設周辺の再開発までの間1Fのみ長岡市内の複数大学高等専門学校キャンパスとして暫定的に利用されている。

※この「長岡大和」の解説は、「大和 (百貨店)」の解説の一部です。
「長岡大和」を含む「大和 (百貨店)」の記事については、「大和 (百貨店)」の概要を参照ください。

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