遼東公に冊封とは? わかりやすく解説

遼東公に冊封

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 12:53 UTC 版)

慕容廆」の記事における「遼東公に冊封」の解説

同年宋該建議して、三国連合撃退戦果江東東晋朝廷)へ報告するよう提案すると、慕容廆はこれに同意して宋該正使裴嶷副使とし、宇文部から奪った玉璽携えて江東派遣した320年3月裴嶷らは建康到着すると、当初東晋朝廷慕容廆勢力遠方にあり、また彼の事を東夷末裔に過ぎない考えていた事から、軽い処遇だけで済ませよう考えていた。だが、裴嶷慕容廆威徳盛んに称え、彼が賢人俊才重用していると述べたので、これ以降考え改めようになった元帝裴嶷らの帰還併せて使者随行させ、慕容廆を監平州諸軍事・安北将軍平州刺史任じ、1千戸加増させた。 321年12月東晋より使者到来し持節都督幽平二州東夷諸軍事・車騎将軍平州牧に任じられ遼東郡公に冊封された。食邑1万戸とされ、侍中単于の位についてはこれまで通りとされた。また、東晋より謁者派遣され、丹書鉄券印綬下賜され遼東地方におけるの承制(皇帝に代わって諸侯や守相を任命する権限)の権限与えられ官司備えて平州守宰を置くよう命じられた。こうして正式に官僚を置くことを許され慕容廆は、裴嶷游邃長史に、裴開司馬に、韓寿別駕に、陽耽を軍諮祭酒に、崔燾を立簿に、黄泓鄭林参軍事に任じた左車・孔纂・胡毋翼は徳に優れて清廉な老臣であった事から、賓客とした。また、嫡男慕容皝世子立て世継ぎの住む建物)を作り慕容翰には遼東を、慕容仁には平郭統治させた。慕容翰慕容仁はいずれ任地良く慰撫し、大い治績上げた平原出身劉賛儒学精通していたので、慕容廆は彼を東庠祭酒(東庠とは東の学校祭酒とは学政長官意味する)に抜擢し世子慕容皝のみならず重臣の子弟にも束脩して講義を受けさせた。自身政務の暇を見つけては講義臨んだ。これによって、道端でも頌声(慕容廆功徳称える声)が起こるようになり、礼譲礼儀正しい謙遜した態度振る舞い)が盛んに行われるようになった

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遼東公に冊封

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 20:48 UTC 版)

慕容皝」の記事における「遼東公に冊封」の解説

335年1月慕容皝左右司馬役職新たに設置し司馬韓矯を左司馬に、軍師祭酒封奕を右司馬任じた7月慕容皝慕容儁世子立てた。 これより以前334年8月東晋成帝慕容部からの使者王済を城へ帰還させた(317年司馬睿晋王名乗った際、皇帝への即位勧める使者として慕容廆東晋派遣していた)。また、侍御史王斉に詔書与えて城へ派遣し慕容廆の死を追悼させた。さらに謁者徐孟・閭丘幸らを併せて派遣して慕容皝に父の慕容廆同一封爵権限である鎮軍大将軍平州刺史・大単于遼東公・持節都督・承制封拝(百官任用爵位授与権限)を与える旨を伝えさせた。しかし、これらの使者馬石津を船で下っている所を慕容仁の兵により捕縛されてしまった。慕容仁慕容皝地位正式に承認される事で周囲離反する事を恐れたので、使者1年渡って抑留されてしまう事となった。 335年10月慕容仁は王斉・徐孟ら東晋使者開放して建康帰るよう命じたが、彼らは元々の使命である慕容皝への詔命告げるという目的を果たす為、慕容仁の下から離れる海路より城へ向かった。だが、風に阻まれてしまい、なかなかたどり着けなかった。12月、王斉・徐孟らがようやく城まで到達したここにおいて慕容皝始めて東晋朝廷からの命を授かり、その地位正式なものとして追認された。 同年慕容皝は右司馬封奕命じ宇文別部宇文部傍系)である渉夜干領土強襲し多く資産鹵獲してから帰還した帰還途上、渉夜干騎兵率いて封奕軍を追撃し、渾において両軍は再び交戦したが、封奕返り討ちにした。

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