逓信省時代
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福井県福井市出身。1874年(明治7年)12月15日、士族近藤寅之助の長男として生まれる。1896年(明治29年)7月第一高等学校第二部工科を卒業し、次いで1899年(明治32年)7月東京帝国大学工科大学電気工学科を卒業した。同期に日本電気会長を務めた秋山武三郎らがいる。 卒業後は逓信省に入り、電気事業の監督にあたる。1901年(明治34年)、電気試験所第1回海外留学生として電気事業研究のためイギリスへ留学、翌年からはアメリカに転学して1904年(明治37年)11月帰国。帰国後は電気試験所に勤務した。1902年逓信技師に任ぜられ、1905年(明治38年)2月には逓信技師となる。1908年(明治41年)9月、電気単本位調査委員を命ぜられて「電気単本位国際会議」に日本の代表委員として派遣され、イギリスのロンドンへと渡る。会議終了後は欧米の電気事業を視察して翌1909年(明治42年)7月に帰国した。帰国後まもなく電気試験所第一部長に昇進する。 1910年(明治43年)、日本電気工芸委員会が設置されるに及び委員となり、後に副委員長として電気機械・器具や電線の規格制定、用語選定、規格統一に携わる。1914年(大正2年)11月、電気局技術課長心得および電気事業主任技術者資格検定委員長を命ぜられる。電気局では周波数の統一や故障発生時の事業者救済方法を研究・実施し、法規改廃にあたって手続きの簡略化を図るなどの活動を行った。これらの電気事業に対する功績を理由に1915年(大正4年)2月に工学博士の学位を授与された。 1919年(大正8年)5月時点では、逓信省電気局技術課長心得・電気事業主任技術者資格検定委員長のほか逓信省臨時調査局電気部第二課長心得、大蔵省臨時建築課技師(課長丹羽鋤彦)、臨時議院建築局技師、特許局技師を務める。同年10月27日付で逓信技師その他を依願免官となった。退官後の11月21日付で従四位(勲四等)に叙された。
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