逓信官僚時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/23 09:18 UTC 版)
清水収吉は、1885年(明治18年)8月、岐阜県の田中清兵衛の次男として生まれた。1906年(明治39年)7月東京の第一高等学校第一部英法科を卒業。次いで1910年(明治43年)7月東京帝国大学法科大学政治学科を卒業した。その後清水やすの養子となり、清水家を相続する。 大学卒業後はただちに逓信省へ入省した。同年の文官高等試験に合格し、翌1911年(明治44年)12月高等官に叙され逓信管理局事務官補に任ぜられる。以後通信事務官補・逓信局副事務官・貯金局書記官などを歴任し、1922年(大正11年)には欧米に出張する。貯金局書記官時代の翌1923年(大正12年)4月高等官三等まで昇り、5月正五位に叙される。その後逓信局書記官を経て1924年(大正13年)本省書記官(逓信書記官)となった。この間、逓信局時代の1916年(大正5年)には簡易保険実施に伴い熊本逓信局初代保険課長を務め、本省に移ってからは電気局監理課長を経て1927年(昭和2年)7月郵務局業務課長兼逓信博物館長に就任した。 1928年(昭和3年)7月10日付で高等官二等(勅任官)に昇格し、逓信書記官と製鉄所理事の兼任となるが、翌11日付で依願によりいずれも免官となった。
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