逃亡事件と結婚とは? わかりやすく解説

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逃亡事件と結婚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/11 09:17 UTC 版)

フリードリヒ2世 (プロイセン王)」の記事における「逃亡事件と結婚」の解説

フリードリヒイギリス王女との縁談機会に、ついに逃亡を図ることになる。近衛騎兵ハンス・ヘルマン・フォン・カッテカイト2人少尉手引き頼み1730年8月5日早朝に、南ドイツにある旅行先の宿舎抜け出したが、計画はすでに漏れており、王太子フリードリヒロッホ大佐によってその日のうちに連れ戻された。 この逃亡計画が父王に知られフリードリヒキュストリン要塞幽閉された。このころ父王は国際的陰謀渦中にあり、暗殺恐怖苛まれていたため、この逃亡計画自分陥れる罠だと考えてフリードリヒ処刑しようとまでしたという。手引きをしたカイト少尉イギリス逃亡したが、カッテ少尉捕らえられて、見せしめのためフリードリヒ目の前で処刑された。フリードリヒが「カッテ、私を許してくれ!」と窓から叫ぶとカッテは「私は殿下のために喜んで死にます」と従容として斬首の刑受けたという。フリードリヒは窓からその光景を見るよう強制されたが、正視できぬまま失神したカッテ遺書には「私は国王陛下をお怨み申し上げません。殿下今までどおり父上母上敬い一刻も早く和解なさいますように」と書かれていた。 ハプスブルク家皇帝カール6世調停乗り出してフリードリヒ・ヴィルヘルム1世父子確執修復をして、フリードリヒ廃嫡免れたフリードリヒは数週間後、父王にむけて手紙書き恭順の意を表したため、フリードリヒ・ヴィルヘルム1世フリードリヒ釈放して近く王領地の管理当たらせることにした。 1733年6月12日には父の命に従ってオーストリア元帥であったブラウンシュヴァイク=ヴォルフェンビュッテル公フェルディナント・アルブレヒト2世の娘エリーザベト・クリスティーネ結婚するハプスブルク家マリア・テレジアとの婚約検討もあったが、フリードリヒカトリック改宗する見込みがないために取り止めになった当時17歳エリーザベト・クリスティーネ容姿美しい、また善良信仰心篤い少女であった。彼女は夫に好かれようとして様々な教養身につけるべく努力したが、フリードリヒの気を惹くことはなかった。夫婦としての生活もなく、後に七年戦争終結した時、数年ぶりに会った女に対してフリードリヒ言ったのは「マダムは少しお太りになったようだ」の一言けだったといわれる。そのため2人の間には子供がなく、フリードリヒ2世の後を継いだのは王弟アウグスト・ヴィルヘルムと妃の妹ルイーゼ・アマーリエの子、つまり王と王妃双方にとって甥にあたるフリードリヒ・ヴィルヘルムだった。しかし、それでも彼女は夫を尊敬し続けフリードリヒとの文通続いていたという。 赴任先のルピーン近郊造営したラインスベルク宮でフリードリヒは、気の進まない結婚代償として得た自由を楽しんだ。父王の意に沿って軍務をこなすかたわら趣味のあう友人たち集めて余暇には優雅な時間過ごし、また著作試みている。多く書簡集のほか、フリードリヒ最初著書として『反マキャヴェリ論』が知られている。反マキャヴェリ論マキャヴェッリ提示した権謀術数肯定するルネサンス的な君主像に異を唱え君主こそ道徳においても国民模範たるべしと主張する啓蒙主義的な道徳主義の書であった。この本は後に、文通相手だったヴォルテールの手経てオランダ匿名出版され、数か国語翻訳されている。しかし、即位フリードリヒ2世オーストリア継承戦争見せた野心は、この本の主旨正反対のものであり、ヴォルテールにも非難されることになる。

※この「逃亡事件と結婚」の解説は、「フリードリヒ2世 (プロイセン王)」の解説の一部です。
「逃亡事件と結婚」を含む「フリードリヒ2世 (プロイセン王)」の記事については、「フリードリヒ2世 (プロイセン王)」の概要を参照ください。

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