逃亡前
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:46 UTC 版)
1945年1月17日、ソ連赤軍がアウシュヴィッツ収容所を解放する直前、メンゲレはグロース・ローゼン強制収容所へ移った。ドイツ敗戦後は国防軍兵士になりすまし、バイエルンでアメリカ軍の捕虜となった。しかし、本来SS隊員は負傷した時のために腕に血液型の入れ墨(親衛隊血液型入れ墨)を彫ってあるところ、メンゲレはその入れ墨をしていなかったため、アメリカ軍はメンゲレがSS隊員だと気づかずそのまま解放した。その後、ドイツ南部のマンゴルディングの村に身を潜め、フリッツ・ホルマンの偽名を用い農家の住み込みとして働く。この時、ニュルンベルク裁判では同僚であったカール・ゲープハルトらが被告として出廷しており、この裁判でメンゲレの名前も何度か挙げられていたが、連合軍側ではメンゲレは既に死亡したものとみなしていた。この「医者裁判」によりゲープハルトら7名は1948年に処刑されている。
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