逃亡犯条例の制定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/07 04:10 UTC 版)
「2019年逃亡犯条例改正案」の記事における「逃亡犯条例の制定」の解説
本土研究社(香港前途研究計画(中国語版))の研究が引用したイギリス外務・英連邦省のアーカイブによると、イギリス統治期の1992年に逃亡犯条例が制定されたとき、「司法制度、刑罰の制度、人権が十分守られる政府とのみ犯罪人引渡しのできる関係を結ぶ」と強調しており、香港返還の後でも変わらないとした。条例制定の本来の意図(英語版)では犯罪人引渡し条約を締結しなかったことを「抜け穴」としておらず、本土研究社はイギリスが中国を信用していない上、引き渡しの悪用を憂いたことをその理由とした。また、中国は1988年7月に犯罪人引渡し関連の法律と制度の整備が不十分であると認め、相互法的援助条約の交渉において刑法関連の案件を棚上げにして、民事訴訟と商業、貿易関連でのみ相互法的援助を行うことを提案した。2000年に中華人民共和国引き渡し法が発効する直前(発効日は2000年12月28日)、香港が中国と犯罪人引渡し条約を交渉していたことについてイギリス外相ロビン・クックが議会に報告書を提出、交渉の結果が香港基本法および香港の裁判手続に適合することを望むとした。イギリス庶民院は外務・英連邦省に対し、香港と中国が締結するいかなる協定でも人権蹂躙を防ぐ条項が盛り込まれるよう促すことを提案した。 1997年以降の香港の警察と中国の公安警察は相互に通知した上で国外追放という形で犯罪人引渡しを行っており、2015年までに公安警察は約170人を逮捕して香港の警察に引き渡し、一方で香港の警察も2008年に六四天安門事件の中心人物の1人で米国永住ビザを有する周勇軍(中国語版)を深圳に追放したといった例はあるが、公安警察と比べて引渡しの人数は少ない。
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