辞書的定義
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/12 18:14 UTC 版)
広辞苑では次のように定義されている。 美しいこと。美しさ。りま。 よいこと。りっぱなこと。 そして3番目に哲学用語の「美」を挙げており、次のような説明になっている。 (哲学)知覚・感覚・情感を刺激して内的快感をひきおこすもの。『快』が生理的・個人的・偶然的・主観的であるのに対して、『美』は個人的利害関心から一応解放され、より普遍的・必然的・客観的・社会的である。 ブリタニカ百科事典では、(広辞苑の3番目に挙げてある哲学的説明から入り)、「感覚、特に視聴を媒介として得られる喜悦・快楽の根源的体験のひとつ」としている。そして、続いて次の注意点を指摘している。 対象にみられる均衡・充実・輝きによって惹起される(タイプの美もある) だが、直接感覚を通さない、いわゆる《精神美》も考えられ、それは「超越美」と呼ばれる。 つまり、一方で美には直接の感覚による美があるが、他方、直接感覚に依存せず、精神的に感じられる美もある、と言っているのである。たとえば「彼の一生懸命な生きざまは美しい」「最後まで正義を貫いたこのお方の人生は本当に美しい」などと言うことがある。また「美しい心の持ち主」と言うこともある。 これに関連して、今道友信は、『岩波講座哲学 第14』の「美学と芸術理論」において、美は自然の事物等に対する感覚的に素朴な印象から、芸術作品に対して抱く感動の感情、あるいは人間の行為の倫理的価値に対する評価にいたるまで、さまざまな意味と解釈の位相を持っている、と指摘した。 美しいものの具体例 人が例えば何を美しいと言うかというと、自分の祖国や故郷を美しいと言うことがあり、風景を見て美しいということがあり、はたまた美術作品などを見て美しいということもあり、男性は形の整った女性を美しいと言うことがあり、そして女性は形の整った男性を美しいと言うことがあり、数学者は方程式のある種の解法を美しいと述べることがある。 またモーツァルトやフォーレの音楽は、「繊細な美しさを持つ」と言われることがある。 ヘルマン・ヘッセは、作品に『青春は美し』という題をつけた。その意味で、青春も美しいとされることのあるもののひとつと言えよう(ただし、青春は人それぞれで、実に様々な形容詞がつけられている。) 美と芸術の相違 「美」と「芸術」は異なる。『岩波哲学講座 (6)芸術』の「はしがき」を書いた人によると、美しいものは必ずしも芸術ではない」。美しいものすべてが芸術というわけではない。また、逆に芸術作品すべてが美しいというわけでもない。 美と存在論 プラトンは《超越美》(=「精神美」)は実在し、個々の美しいものは、この超越美の分有である、と述べた。(イデア論)
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