起源をめぐる説
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「ハンプティ・ダンプティ」の記事における「起源をめぐる説」の解説
前述のようにもともとなぞなぞ歌のひとつとして作られた歌と考えられるが、この童謡が特定の歴史的な事件を指し示す歌であったとする説も多く存在する。よく知られているものの一つは、キャサリン・エルウェス・トーマスが1930年に提唱したもので、「ハンプティ・ダンプティ」がヨーク朝最後の王リチャード3世を指しているという説である。リチャード3世はせむし (humpback) であったと言われており、彼は薔薇戦争の最後のボズワースの戦いにおいて、その軍勢にも関わらずリッチモンド伯ヘンリー・テューダー(のちのヘンリー7世)に敗れて戦死している。ただし、せむしを示す言葉である「humpback」という英語は18世紀以前には記録されておらず、また童謡とリチャード3世を結びつける直接的な史料も見つかっていない。 ほかにも、ハンプティ・ダンプティは「トータイズ」(tortoise) という、イングランド内戦時に使われた攻城兵器を指しているという説もある。骨組みに装甲を施したこの兵器は、1643年のグロスターの戦いにおいてグロスター市の城壁を攻略するのに用いられたが、この作戦は失敗に終わっている。この説は1956年2月16日の『オックスフォード・マガジン』においてデイヴィッド・ドーブ(英語版)が提示したもので、この戦いについての同時代の記述に基づいて立てられており、発表当時は学会から喝采を浴びたが、在野からは「発明それ自体のためになされた発明」("ingenuity for ingenuity's sake") でありでっちあげだとして批判を受けた。この説についても、やはり童謡との直接的なつながりを示すような史料は見つかっていないが、この説はリチャード・ロドニー・ベネットによる子供向けのオペラ『オール・ザ・キングスメン』(1969年初演)で採用されたため一般にも広く知られることとなった。 1996年には、コルチェスター観光局のウェブサイトに「ハンプティ・ダンプティ」の起源が1648年のコルチェスターの戦いにあるという解説が一時期掲載された。この解説によれば、当時城壁に囲まれた街であったコルチェスターの聖マリア教会 (St Mary-at-the-Wall) の壁の上には、王党派の防護兵によって巨大な大砲が一つ据えられており、この大砲が周囲から「ハンプティ・ダンプティ」という愛称で呼ばれていた。しかし議会派からの砲撃によってこの壁が崩れると「ハンプティ・ダンプティ」は壁の上から転げ落ちてしまい、その巨大さのため何人かかっても再び起こして設置しなおすことができなかったのだという(「ハンプティ・ダンプティをもとにもどせなかった」)。 2008年に出版された『イタチがとびだした ―童謡に隠された意味』において著者のアルバート・ジャック(英語版)は、このコルチェスターの説を裏付ける二つの詩を「ある古い書物」から発見したと報告した。しかし彼が紹介した詩の韻律は、いずれも17世紀のものでもなければこれまでに存在が確認されているいかなる韻律とも合致せず、またその内容も「王様の馬と家来」に言及していない、古いヴァージョンの「ハンプティ・ダンプティ」には合致しないことが指摘されている。
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起源をめぐる説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/14 18:37 UTC 版)
これらの大洪水説話の起源については、さまざまな解釈が示されている。 一つの解釈として、大洪水説話には、人々の悪徳を罰するために大洪水がもたらされ、限られた正しい人だけが生き残るという共通パターンがある。これは、人々に善を勧めるための寓話と解釈することができる。 また、下記のように有史以前に起こった実際の洪水の記憶が大洪水説話の基となっているという説がある。
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