角界復帰、晩年、死去
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プロレスの引退から5年後の2003年、日本相撲協会所属ではないフリーの立場ながら、代替わりした第7代立浪部屋のアドバイザーに就任。元付け人でかつて部屋を脱走したと報じられた羽黒海(引退後、立浪部屋の世話人)の要請で、短期間ながら「報酬はいらない。今でも相撲が好きだ」と猛虎浪栄ら後進に熱心に指導を行っていたという。現役時代に使用した化粧回しを日本相撲協会に寄贈した。アドバイザー在任は短期間であったことが後年判明しているが、歴代の横綱が集まる横綱会へ出席するなど日本相撲協会との関係も改善し、現役時代の暴れん坊のイメージとはかけ離れた優しさでも知られるようになった。 退任後、宴席で同席した相撲関係者が尋ねたところ、岐阜県関市でナイフのデザイナーをしていると答えたという。 突如としてプロレスラーとしての現役を引退し、立浪部屋アドバイザーもごく短期間のうちに活動を終えた理由の一端としては、自らの過去の事績により一人娘の将来に悪影響を与えることを避けたかった意志があったものとみられる。元気なころは娘を旅行に連れて行ったり一緒にゲームをしたりしていたが、一方で自分に付き纏う問題児のイメージは気にしており、自分が人前に現れて娘がからかわれるといけないと思って娘の入学式や卒業式には参列しなかった。北尾は、娘を女の子らしく育てようとリカちゃん人形を与え、「顔にケガをしたら大変だから」と格闘技系の習い事はやらせなかった。2019年4月に『週刊新潮』の取材に応じた娘の述懐によると、娘が物心つく頃には既に角界やプロレス・格闘技界とは完全に関係を断っており、角界時代からの趣味であるエアガンやナイフ、日本刀などの蒐集に傾注しながら、ナイフマガジンなどの趣味雑誌への寄稿やパソコン関係の在宅ワークなど、一般世間からも距離を置いた事業によって生計を立てていたという。家庭内で北尾や夫人は現役時代の話をほとんどしなかった為、娘は子供の頃は北尾の事を「他の家のお父さんと比べて、体が大きくて多趣味な人」程度にしか認識していなかったという。 2010年、匿名の『角界関係者』『夕刊紙・相撲担当記者』による消息筋の伝聞形式で「北尾の近年の動静と意向」を報じる記事が配信されている。その記事は、同年の貴乃花の相撲協会理事選挙への立候補を巡る騒動の前後から、横綱会を通じて角界に影響力を行使しようと試みたり、NHK Eテレの子供向け番組『にほんごであそぼ』にレギュラー出演していたKONISHIKIのように、自身も子供向け番組のタレントとして芸能界入りしたいという意志を示していたとするものであった。 しかし、2019年3月29日に長らく公の場に姿を現さなかった北尾の訃報が明らかになった。同年2月10日、慢性腎不全のため千葉県の病院で死去。55歳だった。2013年から腎臓を患い闘病生活を送っていたという。生前からの本人の希望で葬儀は家族葬として行われ、妻と娘だけが葬儀に参列した。死去が公表される際、夫人は「何かと世間をお騒がせしましたが、主人は曲がったことが大嫌いなとてもピュアな人でした」とその人物を語っている。
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