襖としつらい
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/25 03:59 UTC 版)
平安時代の寝殿造の内部は、丸柱が立ち並ぶだけの、構造的な間仕切りが無い、板敷きの床の大広間形式であった。開放的な空間を、住む人の日常生活の都合や、季節の変化や年中行事の儀礼や接客饗宴などに応じて、几帳や屏風や障子などによって内部を仕切り、帳台や畳その他の調度を置いて、その都度適切な空間演出を行った。このような室内の設営を「しつらい」と呼んだ。 「しつらい」には「室礼」とか「舗設」などの漢字を当てている。やまと言葉としての「しつらい」の「し」は「為(し)」で「する」という意であり、「つらい」は「つれあう」や「つりあう」の意で、その時々の情況に応じて「連れ合う」あるいは「釣り合う」ように「する」ことだという。その時々の季節や住む人の格式や生活様式、行事としての儀式の状況などに調和し融和するように、さまざまな障屏具で「しつらえ」た。「しつらえ」のための主要な間仕切りであった障子が、今日の「ふすま」の原型をなしている。平安時代の寝殿造りの「しつらい」の間仕切りとしては、まず建物の外部と内部との隔てる蔀戸、蔀戸に沿ってかける御簾がある。御簾には外側にかける覆い御簾と内側にかける内簾がある。 冬には御簾の内側に重ねて壁代という帷をかける。室内には、いわば帷で作った衝立ともいえる几帳を置いたり、絹や布地の引き幕に近い間仕切りの引帷や軟障で小空間を間仕切った。さらには屏風や衝立障子、衝立障子の発展的形態として、木格子の表裏に絹や布地、後に和紙を張り黒塗りの縁をつけた衾障子などを用いた。なかでも、「しつらい」の間仕切り具として最も重要な「障子」は、平安時代にさまざまな形式の障子が考案されている。仕上げ材料によって絹障子、布障子、紙障子、板障子、杉障子、そして副障子(押障子ともいい壁として用いた)や平安末期には明かり障子などが工夫されている。木の組子格子の表裏に絹や和紙を張り重ねた障子が衾障子あるいは襖障子と呼ばれた。板障子も板を下地として紙や布を張ったもので、柱間にはめ込んで壁として用いた副障子である。 間仕切り建具としての発展的形態から見ると、「障子」は、衝立の原型といえる台脚の上に立てる衝立障子が原型である。絹障子、紙障子、板障子なども台脚の上に乗せる衝立障子であった。衝立障子の中に、四角に窓を開け簀を張りさらに御簾をかけて、内側から向こう側が見えるようにした通障子(透障子)なども工夫されている。「しつらい」として時々の情況に調和させるように「しつらえる」ためには可動形態が便利である。マルチパーパス空間としての寝殿造りは、便所や湯殿さえ固定されていなかった。衝立障子から、柱間に一本の溝を設けてはめ込む副障子が考案された。副障子は建て込み式の障子で、「しつらえ」に応じて建て込んだり、取り外したりできる可動式の壁であった。 この副障子を、鴨居と敷居という二本の溝を設けて、引き違いに動くように工夫したのが鳥居障子(鴨居障子)で、今日の「ふすま」の原型となったもので、衾障子・襖障子と呼ばれた。このような内部空間を間仕切る多様な障子の発明は、寝殿造りの住宅の公と私の明確な分離に基づく、住まい方の変化をもたらした重大な転機となった。特定の機能や目的を備えた小空間への分離独立への展開は、「室」という概念をもたらした。平安末期に明かり障子が誕生しているが、その原型は帳台と呼ばれる寝所の明かり取りの天井に由来していると思われる。帳台は、寝殿のほぼ中央に設けられた寝所で、畳を敷いて一段高くして、四本の柱を立て、帷や御簾を立て回した。後に衾障子で囲われるようになった。帳台の柱には天井も設けられている。寝所とは言っても、昼間は居間として使用するため、組子格子の片面に光を透かす「すずし」(生絹)を張った天井を設けて、天井の明かり取りとした。そして、この帳台の格子天井の「明かり取り」が後の明かり障子の原型であり、「天井」そのものが、後の書院造りで目的や機能別に小空間に間仕切りされた「室」に、杉板天井が設けられる原型ともなっている。
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