押障子
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画像12は推定13世紀末の『枕草子絵巻』である。右下のパネルが押障子であり、一部に引き違いの襖のような遣戸障子が組み込まれているが押障子が長押の高さまであるパネルであることが良く判る。 内裏の紫宸殿で母屋と北庇を仕切る賢聖障子がもっとも有名であり、柱間に填めて間仕切りにする。取り外し可能なパネルであり、現に紫宸殿では儀式のあるときだけ填めている。平安時代に入って間もない頃には「賢聖障子」という名はまだ無かったが弘仁12年(821年)の内裏式に紫宸殿の母屋と北庇を仕切る樹板障子が出てくる。賢聖障子はその板障子に貼った絹布の上に中国の賢臣32名の絵を書いたものである。
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押障子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/02 22:55 UTC 版)
内裏の紫宸殿で母屋と北庇を仕切る「賢聖障子」がもっとも有名であり、柱間に填めて間仕切りにする。取り外し可能なパネルであり、現に紫宸殿では儀式のあるときだけ填めている(「障子#押障子」も参照)。
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