障子の室礼
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/03 08:55 UTC 版)
空間の仕切りをまず横の列を下から見て行くと、一番下の庇の南面、簀子縁側には四尺几帳が置かれている。何尺と書かれていなければ四尺几帳である。御簾は書かれてはいないが必ず掛けられる。 次ぎの列、母屋と南の庇の間の隔ても指図には省略されているが、文中に「母屋の簾、四尺几帳の高さに巻き上げる。鉤あり、おのおの壁代を懸ける」とある。この図を含む記事のタイトルは「御装束」とだけあり、何月のものかは記されていないが、壁代を掛けているので冬場ということになる。 図の一番上の北庇との間は押障子と鳥居障子が交互に使われている。内裏の紫宸殿なら賢聖障子が填められている処である。はめ殺しの賢聖障子にも数カ所戸が付いていたが、ここでは鳥居障子(襖)がその役目を果たしている。 縦の列、つまり側面を見ると、母屋に置かれた「帳」の東(右)に棟分戸と書かれているのが塗籠の妻戸で、それを閉じて御簾を掛け、前に屏風が置かれている。屏風は文字には現れないが折れ線の記号で描かれている。「帳」の西(左)ははめ殺しの押障子で通り抜けは出来ない。内裏の紫宸殿ではこの位置には漆喰の白壁がある。南庇は両側(東西)を鳥居障子(襖)で仕切っている。この「押障子」と「鳥居障子」はパネルとしての障子、つまり建具である。建築図面にすると塗籠以外には壁の無い、柱だけの室内空間は実際にはこうしてカーテン状の障子、パネル状の障子で仕切って生活空間を作っていた。
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